2020年6月、塩尻市に「地域の人事部」が誕生した。以来、市内の企業、行政、経営支援団体、学校を駆け巡っているのが横山暁一さん。「地域の人事部」を担うNPO法人MEGURUの代表理事だ。
総合人材サービス大手のパーソルキャリアで勤務していた横山さんは、塩尻市の地域おこし協力隊との兼業を経て、NPOを設立。現在は独立して、「人と地域の持続的成長循環モデル」を作るために邁進している。
「2018年4月に初めて塩尻に降り立った時には、正直ここまでどっぷり塩尻での活動に公私ともにのめり込むとは思ってもみませんでした」と笑顔で語る横山さん。
なぜ大企業を辞めて移住と起業を決意したのか、なぜ「地域の人事部」が必要だと考えたのか、どんな未来を描いているのかを尋ねた。
横山さんは1991年、静岡県沼津市で生まれた。小中高とサッカーに夢中になりながら、将来は学校の先生になりたいと考えていた。
「子どもの成長にとって、良くも悪くも先生は重要ですよね。僕は出会ってきた先生たちに自分の人生をいい方向に導いてもらった感覚があって。人生にちょっとでもプラスな影響を与えられるような仕事がしたいと思ったんです」
高校を卒業後、教育と心理学を学ぶために名古屋大学に進学した。大学では、障がい者に関わるボランティアサークルに加入。そこで知的にも身体的にも一番重い障がいを抱える重度心身障がい児・者の支援に携わった。
最初は知識や経験がなかったため「自分とは違う世界の人たち」と感じていたそうだが、そのサークルで4年間を過ごすうちに、まったく違う捉え方をするようになったという。
「例えばある人のご飯の介助をしていて、慣れている職員さんの時にはパクパクとよく食べるのに、僕に代わるとぜんぜん食べなくなりました。その理由を考えると、職員さんは一緒に楽しい時間を過ごそうとよく話しかけていたのに、僕は淡々と介助していたんだと思います。その時に、彼も自分とまったく同じひとりの人間なんだ、自分の人生をこう生きたいんだという意志があるんだと恥ずかしながら、その時に初めて実感しました。そこから、人にとっての自立とは自分の意志が人生で発揮されている状態だと考えるようになりました」
サークル活動を通じてほかにもたくさんの学びを得る中で、横山さんは教員として教科を教えることではなく、人の成長や生き方に関心があると気づく。また、高校での教育実習の際、社会を知らない自分が生徒を社会に送り出すことに違和感をおぼえ、「社会でどんな人が求められていて、どんな人たちが活躍していて、働くってそもそもなんなのか」を知りたいと思った。
その視点で自分の将来を考えた時、思い浮かべたのはNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』で観たひとりの女性だった。
「リクルートエージェントの転職エージェント、森本千賀子さんです。番組でエグゼクティブの転職を支援しながら、その人が予想しないような出会いや進路を作って人生に寄り添う姿を見た時、めっちゃ面白そうだなと思いました」
これだ! と感じた横山さんは人材サービス業界の採用試験を受けた。面接では「いずれ教師になりたい」という想いを率直に伝えた。その気持ちを認め、「いいね、応援するよ!!」と応援してくれたのが、パーソルキャリアだった。
新社会人になり配属されたのは、中部支社の法人営業。企業にひたすら電話をかけ、求人ニーズを見つけては、最適な求人方法を提案する日々だった。横山さんは「まずは社会人として頑張ろう」と、4年ほどがむしゃらに働いた。
地域社会に興味を持つきっかけになったのは、研修で鳥取県の智頭町に通い始めたこと。智頭町の地域活性化を考えるという研修で半年ほど行き来するうちに、その魅力に気づいた。
「智頭町の人たちには、自分たちが住んでる町を子どもたちに誇れる町にしたいという想いがあって、智頭町を自分たちで楽しいところにしようと活動していました。それを見て、家と職場に加えて地域という3つ目のコミュニティがあるのってすごくいいなと思ったんです」
当時、結婚を前提に付き合っていた女性(現在の妻)は長野県の出身で、「ゆくゆくは長野に戻りたい」と言われていた。智頭町のことが頭にあった横山さんは、意識的に長野に関係するイベントなどに足を向けるようになった。
ある時、諏訪にある日本酒の蔵元「宮坂醸造」のイベントに参加したところ、社長の息子さんと意気投合。後日、妻と諏訪を訪ねた。
その時に紹介されたのが、諏訪にあるカフェと古材と古道具のお店「リビルディングセンタージャパン」。後日、「面白いお店だったな」と検索してみると、求人広告を出していた。たまたまその隣りに掲載されていた求人広告に目をやった時、ググっと惹きつけられた。
「塩尻の新たな拠点として、シビック・イノベーション拠点スナバのオープニングスタッフの募集を目にしました。行政の力だけではなく、ビジネスの力で地域の課題を解決していく拠点を作ると書いてあるのを見て、やりがいありそうだなと思って応募しました」
2018年3月31日、結婚式の前日だった。
この求人では不採用になったのだが、塩尻との縁はつながっていた。その年の夏、妻の里帰りで諏訪に同行した時、採用過程で知り合った塩尻市の職員から「新しい地域おこし協力隊のポジションができたけど、どうか?」と誘われた。
それは、商工会議所に籍を置いて地域の中小企業の経営者に伴走するという仕事で、「自分がやってきたことが活かせる!」と思った横山さんは快諾。パーソルキャリアの人事制度も副業可能だったため、2019年4月から二足のわらじ生活が始まった。家族も子どもが生まれるタイミングに合わせて塩尻に移住した。
塩尻で仕事を始めると、新鮮な驚きがあった。人材会社の営業ではなく、商工会議所の一員として経営者に話を聞くと、フラットな関係で課題や悩みを打ち明けてくれたのだ。
その環境で自分になにができるかを考えて実現したのが、パーソルキャリアと塩尻市のコラボ。2020年1月、「副業×短期間×リモート」で地域課題解決プロジェクトに携わる「特任CxO」の募集をした。初回はCMO(チーフマーケティングオフィサ―)とCHRO(チーフヒューマンリソースオフィサー)を募集したところ103名から応募があり、CMOにはボルボ・カー・ジャパン株式会社の関口憲義さん、CHROには、カフェ・カンパニー株式会社取締役の田口弦矢さんが就任した。
このCMOとCHROのふたりが見事な成果をあげたため、「特任CxO」は後に7人まで増やされた。この「特任CxO」の募集と採用は大きな話題を呼び、メディアにも多数掲載された。これには、横山さんも手応えを感じた。
「応募してくれた優秀な人たちの力を借りたら地域が変わっていくきっかけになるかもしれない、地域のためになると思うことをやってみればいいんだなと感じました。小さな成功体験を積み重ねた時期でしたね」
地域おこし協力隊として1年目を終える頃には、ぼんやりと「地域の人事部」という構想を描き始めていた。その背中を押してくれたのは、CHROの田口さんだった。
その時に自分が塩尻で企画から運営までを担っていたインターンや副業で関わるような人材事業が、どうしたら地域主導で継続していけるのかを相談したんです。田口さんは、行政とか商工会議所とか既存の組織の中ではなく、外側に民間で組織を作って、責任をもってやる人がいないとなにも続かないよと。そのためには法人を作るべき、誰がやるかを決めるべきという話の流れになり、じゃあ誰がやるんですかね? と聞いたら、そんなの君しかいないでしょって言われました。
それまで考えもしなかったことだったが、「地域の人事部」として働く自分を想像してみると、思いのほかワクワクした。
ただし、本当にニーズはあるのか? 市役所や商工会議所、中小企業の経営者に尋ねると、誰もが賛意を示した。その想いを背負い、2020年6月、「人と地域の持続的な成長循環を作る」というビジョンを掲げてNPO法人MEGURUを立ち上げた。それから、地域のなかで見える景色も変わった。
「本気で塩尻に根付いてやろうとしているんだと伝わったことで、みなさんの僕に対する見え方も変わったような気がします。単に応援するよ、ではなくて、一緒にやろう!という雰囲気になりました。この時はじめて、本当に塩尻の一員になれたような気がしましたね」
NPOの設立時はまだパーソルキャリアの社員であり、3年間という地域おこし協力隊の任期の途中。NPOの活動と合わせて3つの肩書きで活動することになった。それは慌ただしい日々だったが、任期満了までの1年半は「地域の人事部」の必要性を改めて感じる機会にもなった。
例えば、塩尻に「面白い!」「この経営者と働いたら絶対に楽しい!」と感じる企業があったとしても、既存の人材会社の求人サービスは高額で利用できない企業が多い。利用できたとしても、条件面で比較されて魅力が伝わらないまま埋もれてしまう。
あるいは、商工会議所や金融機関が地域の中小企業の経営支援をしているものの、人材の専門家がいない。地域の中小企業には人事担当がいないところも多く、経営戦略を進めるための人事戦略が定められない。
1年半かけて、「地域の人事部」ならこれら地域の弱みを補うことができるという実感を得た横山さんは、地域おこし協力隊の任期満了のタイミングでパーソルキャリアを退職し、NPOの事業に専念した。
「困っている地域の企業や人に対して、「地域の人事部」ならできることがあるし、そこが我々の役割だと思ったんですよね。地域に求められているし、居場所もあるし、自分がやりたいことだし、自分しかできないかもしれない、やっぱり自分の生きる道は地域の中にあるなと感じました」
現在、NPO法人MEGURUでは3つの領域で事業を手掛けている。
「ひとつは法人の人事パートナー事業です。各企業の経営戦略に基づいて人事戦略を考え、人事業務を伴走支援します。個人向けにはキャリア支援事業で、社会人向けに自分のキャリアを見つめ直す機会を作ったり、小学生から大学生までにキャリア教育の支援もしています。もうひとつは法人と個人のマッチングで、長野に特化したながの人事室という求人メディアを運営しています」
これに加えて、商店街の空き店舗をリノベーションしたシェアハウス兼コミュニティスペースも作っている。人材事業を進めるうえで、地域内外のプレイヤーの交流拠点が必要という判断だ。
地域おこし協力隊の一員として塩尻に移住してから、2023年4月で丸4年。縁もゆかりもなかった塩尻で起業するとは思いもしなかっただろうが、今は「地域の人事部」として大きなやりがいと楽しさを感じている。
「塩尻は製造業もあるし、ワイナリーもあるし、農産物も豊かで、木曽漆器もあって、産業のバリエーションが広いのがいいところだと思います。いろいろなプレイヤーもいて、まだまだ深掘りしがいがありますね。「地域の人事部」というテーマも、自分たちの生活も、塩尻内に限る必要はないと思っているので、中信エリア一体の活動にしていきたいと思います」
横山さんにとって嬉しいことのひとつは、妻もすっかり塩尻の生活に馴染んでいること。「食」に興味を持ったことから、塩尻の生産者と組んでマルシェに出店したり、生産者と子育て世代をつなげるような活動を始めたそうだ。
「根本的にやってることは一緒だねと言っています。僕は求人や働くということ、彼女は食や暮らしを通して、誰かの想いを人に伝えるということをやっていますから」
最初に移住した地区が気に入り、すぐ近くに新居を構えた。「自分の生きる道は地域」と覚悟を決めた横山さんのチャレンジは、まだ始まったばかりだ。
取材:2022年11月
text:編集部、photo:遠藤愛弓、本人提供
edit:今井斐子・近藤沙紀