江戸の旅籠というストーリーを残したい

国指定重要文化財小野家住宅 当主 小野良文さん・香苗さんの耕し方 2021.7.29

塩尻の文化財の一つ「小野家住宅」

全国に数多く存在する文化財。種類は建物から地域の文化までさまざまだ。

塩尻市にも合計100件存在している文化財。市所有のものもあれば、個人で所有しているものもある。個人で所有している文化財の一つが、小野家住宅だ。

小野家住宅は、約400年前、塩尻宿の「いてうや」という旅籠として開業し、現在の建物は1836年(天保7年)に再建。骨組みなどの構造材は、再建当時のものが今もそのまま使用されている。1973年(昭和48年)に主屋と文庫蔵が国重要文化財に、2009年(平成21年)には隠居屋、宅地などが追加指定されており、「幕末の華やかな旅籠建築」と「近世の旅籠の屋敷構え」を今に伝える貴重な文化財である。

小野家住宅の外観。「いてうや」の看板がそのまま残っている。


隠居屋

文庫蔵


建物は出梁構造で、跳ね出し二階や、手摺格子・濡縁が乗る。1階には旅籠の機能を果たす三系統の入り口が配置されている。客室座敷をすべて2階に置き、それぞれの部屋の壁には桜や鹿、梅、竹などの絵が描かれている。特に桜の間は、天井まで桜の絵が施されていて客室を彩っている。

また、小野家住宅には、さまざまな人物が訪れている。その中の一人で「東海道中膝栗毛」の作者である十返舎一九は、自身の旅行記で「いてうや」を紹介している。

櫻の間

鶴の間からのぞく鹿の間


香苗さんの「継ぎたい」という思いから塩尻に移住、大規模な保存工事へ

もともと、小野家住宅は香苗さんの母方の祖母(先々代)の自宅で、香苗さんも幼少期からよく遊びに行っていたなじみ深い場所だ。小野家を継ぐ前、二人は東京に暮らしていたが、香苗さんはいつか継ごうと考えていたという。

「昔から祖母は、私の母に家を継いでほしいと口にしていました。それを聞いた私は、高校生の頃に『いいよ』と受けました。祖母が亡くなり、約束を守ろうと思い、夫とともに塩尻に戻ってきました。」

良文さんも香苗さんの「継ぎたい」という思いを受け、先代の養子縁組になり、塩尻に引っ越すことを決めた。香苗さんから話を聞いた時点で、良文さんは「そこにあるから面倒を見るか」くらいの軽い気持ちだったという。

そして2002年に香苗さんが、2003年に良文さんが塩尻に移住。最初の2年は、夫婦二人で管理をしていた。

「いざ帰ってみたら何したらいいかわからない。最初の2年は自分たちなりに管理をやってみたけれど、どうやって維持していけばよいのか・・・あちこちにガタが来ていてどうしたものかと・・・」

管理を始めて2年経った2005年、二人は市の職員と話をする機会があった。市から文化庁や県の担当者を紹介してもらい、さまざまな知見を得たという。

2005年は塩尻市が楢川村と合併した年。楢川村は奈良井の文化財保存の実績(建造物の保存)があったので、合併によって建物の保存の気運も高まっていました。色々なことが嚙み合ったことも大きいですね」と、香苗さんは当時を振り返る。

二人は専門家の助言をもらいながら、2005年に保存工事のための調査を開始。調査報告書を見る前、二人は崩れないくらいに直せばよいかと思っていた。しかし、報告書を見て、二人は全面的な修復工事を決断。

「細かく直すのは大変だし、第一面白くない。せっかく文化財を直すのだから、江戸時代の旅籠の姿に完璧に戻したい気持ちが湧いてきました。市も全面的に協力してくださいましたし、国や県にもつないでくれました」と良文さん。

香苗さんが「住みながら工事というのは大変だった」と語るように、当時二人は、小野家の続きにあった建物に住むか、新たに住まいを建てるか迷っていた。それと同時期に保存工事という話になったので、新たに住まいを建てて、文化財部分は全部直して住まない建物など文化財に関係のないものは取り壊すということにした。

小野家住宅は、2009年から2013年にかけて半解体修復工事という大規模な改修工事を実施。二人は、保存の関係で出会った専門家の人たちの影響もあり、「せっかく管理するなら徹底的にやろう」と保存工事にも熱が入るようになった。


小野家住宅のパンフレット(左)と工事の記録(右

文化財管理は苦労もあるが、楽しいことのほうが大きい

保存調査や修復工事中の話をしている二人は、とても楽しそうだ。当時のことを振り返ってもらうと、香苗さんは苦労という苦労はなかったという。

「『文化財って管理が大変でしょ?』って周りからよく言われます。確かにいろいろな制約はあるけれど、ここは自分の家ですから、自分の家を管理するような気持ちなのであまり苦労とかはないですね。ここにいれば庭を見るのも楽しいです。ただ、家が広いから掃除が大変ですけれどね」と笑う香苗さん。

良文さんも文化財はこの家があること自体が生活の潤いだと語る。

「文化財は、現代風にして、バリアフリー化して、断熱材入れてといったことができません。だからここに住み続けるということは、大変は大変なんですよ。まして私たちのように別で住居を建ててという場合は、使わない家を管理するということになる。掃除をして、修理をして・・・これを重荷と感じるようになったら大変かもしれないですね。ただ、贅沢していると思えば生活のハリになって楽しいですよ」

もちろん楽しいことばかりではない、現在、後継者や維持管理に関してさまざまな難しい問題がある。全国の文化財所有者の集いで挙げられる悩みでは、修理費として数千万円を積み立てた時に、相続の関係でそれに税金がかかるなどの悩みがある。

良文さんは「文化財は保存に国・県・市から支援を受けながら修理しますが、修理費の何割かは負担しなければならないので、それを相続の関係で税金を取られるのは大変ですね。地域によっては、文化財が多すぎて行政の支援が受けられない場合もありますから」と語る。

ただ、そういった課題がありながらも、二人にとっては楽しかったことのほうが大きいようだ。

「工事中は、業者さんや市の担当者さんと行き会って話をして。毎回『こういうものが出てきました』『こんなことが分かりました』というのを報告してくれて。それを見るとこの家の歴史が良くわかるんですね。それが楽しくて。今は見えない部分にありますが、見学者への説明でお話のネタになる。それまで祖母の家だったのが、自分の家の歴史として説明できるという感覚になったのが良いですね」と当時を振り返る香苗さん。

ある時には平出博物館の職員にも発掘調査をしてもらい、大きな成果はなかったが、『ここは火を使っていた場所』など面白い発見があった。

保存活動を振り返って良文さんは「こうやって面白いと言えるのは、いろいろな方が保存活動に協力してくれたからこそです。あのまま自分たちだけで管理していたら悩んでしまったと思います。結局、私たち所有者は素人ですから、支援がなければ文化財を守ることは不可能です。適切な指導・支援があって初めて文化財保存が面白くなると思います」と語る

いろいろな歴史的な事実が明らかになったことや、ここに泊まっていった人の記録が分かったことが楽しかったという二人。修理前から修理後までの10年間の軌跡をまとめたものを写真集として自費出版している。


石置き板葺屋根

小野家住宅の本来の価値を未来に継承する

現在、修復を終えた小野家住宅は、江戸時代当時の姿を再現している。大規模な修復工事は、小野家住宅を今後も管理しやすくするために実施したという。

実際に、建造物の文化財が、いつまで個人所有でいられるのかという課題は全国的にあり、個人所有の限界を感じて自治体に寄付するというケースが増えている。

「文化財を保存するためには、文化財自身の性格を明らかにして、きちんとした形で残したほうが良いのでは」という気持ちが良文さんにはあった。

「例えば、文化財に所有者の住まいが接続しているような入り混じったものだと、文化財の価値があいまいになってしまうと思いました。だから文化財として価値がある部分は全部完璧に復元し、保存していく。今後継承していく上で、たとえ寄付することになってもきっちり残ることが重要だと思います」

また、二人が繰り返していたのは、「江戸の旅籠というストーリーを残したい」ということだ。

「江戸の旅籠というストーリーが小野家住宅の価値だと思います。小野家の文化財指定の理由は、1つ目は江戸時代の旅籠の姿を残している。2つ目は江戸時代の町屋の敷地が残っている点です。この家は2回に分けて文化財指定がされていて、1回目は江戸の旅籠としての指定、2回目は江戸の町屋としての指定の意味合いが強い。その姿を徹底的に表現するように復元しました」

先代が作った昭和の座敷や書斎は、惜しみながらも取り壊したが、あったとしても使いこなせないのであれば、中途半端に残すよりも取り壊そうという意思の表れでもある。また、徹底的に復元するために、あえて維持管理が大変な選択をすることもあった。

「屋根を鉄板葺きにすることもできたけど、瓦屋根以外は石置き板葺屋根にしました。石置き板葺屋根は20年に1回交換が必要で、管理は鉄板葺きのほうが楽だけど、江戸時代の姿を見たいとなると石置き板ぶき屋根ということになりました」


周りとつながりながら、地域の文化の価値を高めていく

「やりたいことは一通りできたので、少なくとも私たちの代は小野家住宅を維持できる確信が持てましたね」

二人は、小野家住宅の保存工事について満足そうに語ってくれた。そんな二人の今後の目標は「地域との関わりをつくること」だという。

「地元で立ち上がった街道事業実行委員会の会長が、この家を活用しようと熱意を持ってくれています。伊能忠敬が塩尻に泊まった9月29日を記念して灯明を飾ったり、11月の宿場の日には骨董品を展示しながら小野家住宅を見学できる機会を設けていただいています」と香苗さん。

現在、塩尻東地区の公民館活動が活発になってきており、小野家住宅はそれと連携して地域との結びつきを強くしたい。街道事業実行委員会の皆さんが「せっかく宿場がたくさんあるのだから、連携することができれば面白くなる」と語っているという。

「街道事業実行委員会は、その一環でこの家を塩尻宿の旅籠として紹介してくれている。それぞれが独立してアピールするのではなくて、つながりながら発信するのはいいことだと思います。この地区は西福寺や阿禮神社などいろいろな文化財があるので、イベントで歩いて巡って紹介したりして。点ではなく線で紹介できると良いですよね」と良文さんは語っていた。

また、地域のつながりとして、コロナ禍以前は地元の小・中学校の子どもたちが授業の一環で見学に来ることもあった。

「小学生はたくさん質問を考えてきてくれて、積極的に質問してくれるんだけど、中学生にもなると思春期でシーンとしていて笑 こういった地域の子どもたちが見に来てくれるということも張り合いになるし、公開したての頃は小学生が授業以外でもおやつを持ってやってきたり、自分の親や祖父母を連れてきたりしてね」と香苗さんは笑う。

最後に文化財保存の原動力はそれぞれに尋ねてみた。

良文さん「保存に際して指導してくださった皆さんの影響かもしれません。一流の方々の言動を見ているから決断できたと思う。文化庁や専門家の方々がいろいろな話をしていってくれるので、我々のレベルも上がっていったのではないでしょうか」

香苗さん「なんだろう。笑 私たちにとっては当然のことですね」


取材:2021年7月

text:塩尻市秘書広報課 photo:小野良文さん、塩尻市秘書広報課

広報しおじり8月号では、文化財に関する特集(4ページ)を掲載しています。

併せてご覧ください。

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