北小野の大地で自分のワインをつくりたい

「いにしぇの里葡萄酒」代表 稲垣雅洋さんの耕し方 2018.2.1

とにかくやってみる!ワイン職人と料理人、2つの顔

みーんみんみんみんみん…。炎天下という言葉がぴったりの昼下がり、ここは長野県塩尻市北小野のブドウ畑。稲垣雅洋さんが手塩にかけるブドウたちは、美味しいワインになるという期待に胸を膨らませ、体を色づかせ始めている。「これはメルロー。もう少ししたら、粒が真っ黒になる。今はいろいろな色が混ざって宝石みたい」。そう言ってブドウに触れる稲垣さんの手は、とても優しい。

塩尻市は、2015年ワイン特区に認定されたことにより、少量からでもワインを製造することが可能となった。稲垣さんは、ワイン特区を活用した塩尻市初のワイナリー「いにしぇの里葡萄酒」を立ち上げ、秋には第1号のワインを出荷する。

ブドウ畑ではワイン職人の稲垣さん、実は料理人でもある。
昼は畑でブドウと向き合い、夜は自身のお店「ブラッスリーのでVin」で厨房に立ち、お客様の舌を楽しませている。このバーは、「塩尻のワインを塩尻で飲めないなんてもったいない」という思いから“塩尻のワインを取りそろえるお店”として始めた。塩尻ワインを愛し、「とにかくやってみる」をモットーとする稲垣さん。塩尻でワイナリーを立ち上げるまでのストーリーを辿ると、そこには、稲垣さんの行動力が引き寄せるさまざまなご縁があふれていた。


ワインと廻り合った場所は地元北小野

稲垣さんは塩尻市北小野の出身。高校卒業と同時に北小野を離れ、上京して料理学校へ。その後、東京で料理の仕事に就く。「でも、塩尻ののんびりとした雰囲気が好きで、いずれ帰るだろうなとは思っていました」。
東京に出て10年が経ったある日、稲垣さんは地元北小野へ帰ってきた。特にプランもなく、とりあえずハローワークに行ってみると、気になる季節労働求人がひとつ。塩尻市内のワイナリー「信濃ワイン」での収穫作業だった。
いまでこそ塩尻ワイン愛あふれる稲垣さんだが、高校卒業と同時に上京したため、当時は地元がワインの産地であることすら知らなかったという。「ワインはどうやってできるんだろう?」という単純な好奇心から信濃ワインの求人に応募した。そこから稲垣さんのワイン人生が始まる。

信濃ワインは人間味あふれる家族経営の職場で、稲垣さんはブドウの収穫をはじめ、ワイナリーで働かせてもらっていた。そこには素敵なご縁が待っていた。当時難しいとされていた、塩尻での個人ワイナリー「城戸ワイナリー」との出会いだ。稲垣さんが働いていた信濃ワインに、たまたま城戸ワイナリーの立ち上げを手伝った方がいて、城戸ワイナリーを訪問することができたのだ。


おいしいワインの背景にあるもの

城戸ワイナリーを見て、稲垣さんの心は痺れた。「ほんとにちっちゃいところで、完全に個人で始めているワイナリーに衝撃を受けて、すごく面白いなと」。そう話す稲垣さんからは当時の驚きがそのまま伝わってくる。
「手伝わせてもらえないか」と直々にお願いし、城戸ワイナリーで半年、ワイン造りに携わることができた。そこで直接樽から注いでもらったワインを味わった際、さらに大きな衝撃を受けた。「ワインってこんなに美味しいんだって。日本でもこんなに美味しいワインができるんだって」。

ワイン造りを学んで、ワインの香り、風味の背景には製造する人たちの思いがたくさん詰まっていることを体感した。そして、「塩尻のワインをもっと地元の人にも飲んでもらいたい」との思いで、地元のワインが飲める店「ブラッスリーのでVin」をスタートさせた。
自分のお店を持つという昔からの夢をひとつ叶えた稲垣さん。しかし、稲垣さんのワイン人生には続きがあった。いつしか「自分のワインをつくりたい!」という新たな夢を持つようになっていたのだ。


とにかく熱い、ワイン造りの同志たち

全国の20代後半から30代の若手ワイナリーが集まる勉強会へ行ったときのこと。栽培や醸造の話を聞いても、稲垣さんにはちんぷんかんぷん。しかし、その勉強会後の懇親会で、彼らのワイナリーへの熱い思いに心を動かされたという。「熱気がすごいんですよね。これから日本ワインくるなと」。
さまざまな出会いに刺激を受け、お店をオープンした1ヶ月後に、稲垣さんは実家の畑にブドウを植えた。その後、塩尻がワイン特区になるという話が舞い込み、ブドウ栽培に本腰を入れ始め、果実酒製造免許を取得した。

こうしてふりかえると、稲垣さんのワイナリー設立を神様が応援しているかのように、いつも必要なご縁に導かれ、とんとん拍子にことが進んできた。順風満帆そうに見える稲垣さんに、不安はないのか尋ねてみた。「そりゃあ不安ですよ。ただね、やってみたいという思いの方が強いので、とにかくやってみる。行動あるのみっていうか、実際自分でやってみないとわからないですよね」。



北小野をブドウ産地のひとつに、ワインを楽しめる街に

「いいですよね、こののんびりとした感じ…」。稲垣さんは周りを見渡しながら、噛みしめるように話してくれた。
「ワインを提供できる飲食店をここでやってみたいなっていう想いはありますね。隣にちょっと泊まれる場所があったりね」。北小野をまるごと感じてもらえるような場をつくりたいという。
「あと2~3軒、ここにワイナリーができれば盛り上がっていいですね。お隣の辰野町の小野地区は日本酒の酒蔵が有名で。小野の日本酒、北小野のワインとで一緒にお酒のお祭りみたいなことができればいいな」。

さらに稲垣さんはこう続ける。
「都会じゃなくても、やることをちゃんとやれば、日本全国、世界にだって評価される。場所は関係ない。こういう田舎からでもできることあるなって思う。城戸さんに会って『ここにもこんなすげー人いるんだから』って思ったから」。

外の世界にあこがれ、一度東京に出たからこそ気づいた地元の素晴らしさ。今度は大好きな地元塩尻にフィールドを移し、外の世界に挑戦する。塩尻の新たな「すげー人」は、地元ワインで世界を幸せにするため、今日も畑に立つ。


取材:2017年11月

*この記事は、「旅するスクール」に参加したメンバーが作成しました。

文:谷口佳世
写真:水野淑恵
編集:水田まどか

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