宿場町の伝統を守り抜きたい

「ゑちごや」永井裕さんの耕し方 2017.6.6

200年以上の歴史を持ちながら、どこか懐かしい「ゑちごや」の空気。永井さん一家が、とびきりの笑顔でお出迎えしてくれます

創業220年の宿屋

中山道の難所、鳥居峠をのぞむ宿場町として栄えた奈良井宿。その奈良井宿でも江戸時代から続く宿屋は「ゑちごや」1軒のみ。間口が狭く奥に細長いのが、奈良井宿の伝統的なつくり。ご主人の永井裕さんがお客様を迎えると、玄関の“店”から台所の“お勝手”へと続き、娘さんたちのランドセルもかかる“帳場”、明かりとりの“坪庭”を通ると、“客室”に着く。1日に迎えるお客様は2組6人まで。客室は1階と2階に1部屋ずつだ。


「ゑちごや」を陰で支えた製薬業の看板など、当時からの歴史を思わせる品々が宿内の随所に見ることができる

いまでも8軒の宿屋が営業をしている奈良井宿だが、宿屋が「ゑちごや」1軒のみの時代もあった。明治42年には奈良井宿にも鉄道が敷かれ、歩いて中山道を旅する人も減っていった。最盛期には30数軒あった奈良井宿の宿屋も次々と廃業し、奈良井宿で営業しているのは「ゑちごや」のみになったそうだ。

永井さんに、「ゑちごや」が営業し続けられた理由を尋ねた。「うちがたまたま江戸時代の旅籠から続けてこられたのは、副業で薬を製造していたから。明治初期から旅の常備薬を製造して、東京や名古屋や大阪に卸していた。そうして先祖がここを残してくれた」。製薬業は薬事法の関係で戦後やめてしまったが、いまでも往時の看板を「ゑちごや」の店先で見ることができる。


200年以上続く宿屋だけあって、何代も通い続けるお客様もいるそう。「自分がここを継いだ頃に保育園くらいの子どもだった人が、お母さんになって自分の子どもを連れて毎年来てくれる。その方のご両親が、独身時代にこの宿で知り合って結婚して。もう40年以上通ってくださっていますね」。

200年以上の歴史がある建物。「奈良井の建物は、古ければ古いほど2階の天井が低い。背の高い外国人では、天井に手が届いたり、敷居をかがんでくぐったり、それが面白いらしい」と魅力を語る

自然な流れで奈良井宿へ

永井さんは「ゑちごや」の9代目だ。「ゑちごや」に入ったのは25歳のとき。生まれ育ちは松本市内。大学進学で上京してそのまま東京で勤めていたが、「ゑちごや」の先代に子どもがおらず、父の生家だった「ゑちごや」に後継として入った。当時の心境については「特に“これはえらいことだ”と思うこともなく、葛藤することもなく、タイミングかなと思った。それからは、自然な流れでいまに至る感じ」。淡々と永井さんは話す。二人の娘さんたちに対しても、「継ぐとは言っているが、それは流れで」と永井さん自身はあくまで自然体だ。


伝統を守りつつも、変化は恐れず

奈良井宿を歩くと、外国人観光客の姿をよく見る。「ゑちごや」でも昨年の宿泊客の3割程度が外国人。問い合わせや予約など、ほぼ毎日英語のメールが届く。「ゑちごや」では約10年前からインターネットでの宿泊予約を開始した。今ではネットでの予約が7割を超える。伝統は守りながらも、サービスは時代の流れに合わせて変化している。

フロアごと一組ずつ限定の客室は、ふすまを開ければ二間続きのゆったりとした空間。まるで田舎のおばあちゃんの家に遊びに来たような安心感がある


奈良井では、空き家や地域の人口減少が深刻だ。空き家は伝統的な建物であるゆえに、修繕にも費用がかかる。地元を離れている持ち主との交渉も簡単ではない。「奈良井に住んで商売してもらうためにはどうしたらいいか。観光客は来てくれているけど、受け入れる人の絶対数は減ってきています。なんとかまちなみを残して、観光地で居続けるように変化していかなきゃいけないな」。受け入れ側も高齢化が進み、若者が増えないとまちが途絶えるという危機感がある。

決して商売しやすい場所ではない。冬場は寒く、観光客がぐっと減る。冬場の目玉を作るか、いま流行りの民泊施設をつくるか、若い人たちが副業しながら暮らせる環境を作るか。いろいろな可能性がある。例えば、江戸時代の建物で最先端の仕事ができたら、とってもクールだ。

伝統を守りながら変化するのは難しく、双方が足を引っ張り合うこともある。それでも、生き残るためには自ら変化を起こすしかない。まずはモデルケースづくり。永井さんは仲間たちと奈良井宿の新しい伝統をつくろうとしている。

(文:髙橋祐香 写真:田中理恵子)


奈良井の魅力である、まるで江戸時代にタイムスリップしたようなまちなみが続く長い宿場町。永井さんも、「通りを歩いたり、自分の好きな場所を見つけて立ち寄ったり、思い思いの時間を過ごしてほしい」と語る


取材:2017年4月

*この記事は、「旅するスクール」に参加したメンバーが作成しました。


旅するスクールに参加して

■ライター(髙橋祐香)
ライティング講座もカメラ講座もどちらもわかりやすく、楽しく参加することができました。ただ、いざ自分でインタビューをとる時には緊張して大変でした。インタビューを取っている時には、頭の中がフル回転で終わった後はぐったり疲れてしまいました。平沢は初めて、奈良井は2回目でしたが、それぞれの地域に住む方々のお話を聞くことができて、普通の旅行ではできない特別な経験をすることができたと思います。またぜひ再訪したいです。

■写真(塩尻市職員:田中理恵子)
もっと早くこの経験ができていればなあ!と、ちょっと悔しい気持ちです。私は以前、市の広報誌をつくっていました。当時はほぼ独学で、何が正しいのかにこだわるあまり、何を伝えたいのかを見失い、非常に悩んだことを思い出しました。今回は、主にカメラの担当でしたが、生き生きとした講師の指導と熱い想いを通し、地元塩尻で頑張っている魅力的な方を伝えたい!という前向きな気持ちで臨むことができました。それは、プレッシャーと同時に、楽しさ、刺激を感じさせてくれる経験でした(写真の出来はまだまだですが……)。

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