塩尻で畑とコミュニティを開拓したい

丸山農園 丸山真一さんの耕し方 2017.3.23

松本市で生まれ、小学校4年生のときに家族で塩尻に越してきた丸山さん。お父さんは会社員で、丸山さん自身は岐阜の大学で福祉を学んだあと、介護施設で職を得た。
それまで全く農業に縁のない生活だったが、その施設を3年で辞め、「この後、どうしようかな」と悩んでいるときに転機が訪れた。
「知り合いの洗馬農協の理事の方に、百姓やってみねえかって誘われたんです。介護の仕事をしているとき、ひとつの狭い空間のなかで毎日働くことに限界を感じていたので、外で体を動かして働くのもいいかなって」。

「予想外のことばかり」の7年間

もともと、農業をやりたい!という熱い思いがあったわけではない。たまたま声をかけられて、なんとなく興味がわいたという程度だったが、洗馬農協で修業を始めると、塩尻の澄んだ空気を吸いながら体を動かす仕事が肌に合うと感じるようになった。
あっという間の2年半。そのときにはもうすっかり農家の顔になり、先輩たちの「そろそろ自分でやってみないか?」という言葉に背中を押されて独立した。


現在、農業を始めて7年目の34歳。丸山農園の主として、春にサニーリーフ、夏にピーマンととうもろこし、秋にブロッコリーを育てている。もう中堅といってもいいキャリアだが、「まだまだ予想外のことばっかりです」。
「去年の春は例年にないほど気温が高くて、アブラムシが発生しました。それがピーマンの苗について病気を媒介して、苗の8割、9割がウィルスに感染してしまった。今年は初めてネズミが出て、芽をぜんぶ食べてられちゃった。ハウスのなかで5匹も捕まえたので、きっと山から下りてきて、ハウスのなかで冬を越してたんでしょうね」。
一生懸命に種を植え、育てていた苗がウィルスやネズミの被害で壊滅するというのは、想像するだけで暗い気持ちになる。僕なら怒り狂って投げやりな気分になりそうだが、丸山さんは、そういう残念な出来事を上回るような楽しさが農業にあるという。
「やっぱり、小さい芽が出てきたときは、おお、出てきてくれた!ってテンションが上がりますね。育てた野菜が無事に大きくなって、もう少しで収穫というときも、最初の収穫のときも、それは嬉しいもんですよ」。

「おっちゃんもうひとつちょうだい」

丸山さんはここ数年、ピーマンの一種である「こどもピーマン」を育てている。子どもの頃からピーマンが大嫌いだった丸山さんが、種苗店の冊子を見ていてたまたま見つけた「苦くないピーマン=こどもピーマン」に興味を持ち、自分で育ててかじったときに「これはうまい!」と驚いたのがきっかけだ。
「すごく肉厚で瑞々しいし、甘みがあるんですよ。しかも、栄養価が普通のピーマンの2倍近くある。子どもたちにも栄養もあっておいしいものを食べさせたいなと思って、本格的に作り始めました」。
甘いピーマン? 食べたことがないので想像がつかないが、丸山さんの子どもたちは農園に来て、その場でピーマンをもぎってかぶりつくというから、相当においしいのだろう。
あるときは、ピーマンが大っ嫌いで食べられないという子どもに「生で食べてみ」と渡したら、一気にばくばく食べて、「おっちゃんもうひとつちょうだい」と言ったそうだ。
通常、農作物は収穫して農協に卸すのだが、塩尻の農協ではこどもピーマンは扱っていない。となると自分でどうにかして売らなくてはならず、面倒だから作っている人もほとんどいない。でも、子どもたちの反応を見て手応えを感じた丸山さんは、マルシェに出店するなどして自力で販路を開拓していった。
2014年から作り始めたこどもピーマンは、いまでは塩尻の小学校の給食で使用されているほか、塩尻市内のスーパーマーケットのデリシア、道の駅木曽ならかわのならかわ市場などで販売されている。



自分がつくったものをお店にも消費者にも評価されるのは、これ以上ないやりがいだろう。
「いまは1000本植えつけていますけど、もっと大きくしたいし、仲間も増やしたいですね。あと、今年は白いトウモロコシも作ってみるようと思ってるんですよ」。そう語る丸山さんは、ワクワクしているようだった。

最年少の地区長に就任

農業は肉体労働だし、気ままに休むこともできないからハードな仕事という印象があるが、丸山さんはほかに、いま住んでいる宗賀地区の地区長も務めている。地区長は住民の要望を市役所に伝えたり、地域の振興についてリーダーシップをとる役割があり、市役所の職員さんの話では、ほかの地域ではだいたい引退して時間のある人が選ばれるそうで、塩尻市内で30代の地区長は唯一だ。

丸山さんは「ほかにやる人がいなかったから」と苦笑するが、いまでは「もっと良いコミュニティにするにはどうしたらいいか」と考えるようになったという。
「若者にもいろんなことに興味を持ってもらって、自由に声をあげられる雰囲気になればいいと思っています。若い衆が、こういうこと面白そうだぞ、俺らでやろうじゃんって元気になれば、地域も盛り上がるし。
あと、最近、近くの山でシカやイノシシの罠猟も始めたんですが、肉が本当にうまいんですよ。塩尻はワインが有名じゃないですか。だから、ジビエでおいしいつまみ的なものをつくったらどうかと、区長会でも話したんです。それを宗賀地区からも発信できればなと」。
農家として、区長として、猟師として日々やることはたくさんある。楽ではないし、正直、忙しい。でも、充実している。「とりあえず、面白そうなことはやってみたいじゃないですか」とほほ笑む丸山さんの表情からは静かで穏やかな、でも確かな自信を感じた。

 

取材:2017年3月

文:川内イオ 写真:望月葉子


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