漆器のまちが気に入ったから、
ベースキャンプをつくりたい。

「麻太の家」大西真さん、橋本遥さんの耕し方 2016.11.15

左から、橋本遥さん、大西 真さん、横山綾子さん。「麻太の家」の前にて。

木地師で木工所を運営している宮原榮さん。 麻太の家を貸してくれた人。

「拠点を持ったら、いろいろなことができる」

木曽平沢は「木曽漆器」のまちとして知られている。「雁行型」といわれる軒先が斜めに連なるまちなみが特徴的な重要伝統的建造物保存地区で、ほとんどが漆器の工房や問屋だ。だが、漆器産業の需要が落ち込み、現在も店や工房として開いているところは少なくなり、空き家も多い。「麻太の家」は、そんな空き家のひとつ。ふたりの若者が2014年から借りて、DIYしながら使っている。漆芸作家の橋本遥さんと、東京で配管工と研究員(アート関係の事業に携わる組織)の二足のわらじを履く大西真さんだ。

そもそもの始まりは、2007年に、東京藝術大学工芸科で漆芸を専攻していた橋本さんが大学の研修旅行で来てこの地の空気感を気に入り、高校時代からの友人で、東京造形大学でデザインマネジメントを専攻していた大西さんや知人を誘い、地元の人が管理する空き家に民泊のようなかたちで、古い一軒家を“必要な時だけ”借りてみたことだ。東京と行き来しながら週末や休みの日に滞在し始め、まちの人たちからは「学校では教わらないことを教えてもらって、関わりが深くなっていった」(橋本さん)のだという。そうした交流が深まるなかで、2012年頃に木地専門の伝統工芸士である宮原榮さんと知り合い、後に格安で借りることができたのがこの「麻太の家」だ。“麻太”とはここで商売をしていた漆器工房の屋号。今年80歳になる宮原さんは、「大西くんたちは積極的にまちに出ていくし、いいことだと思うよね。このまちはこのまちの人間が守っていかないといけないから、協力もしていかなくちゃ」と言う。


漆塗りにいつも協力してくれる伊藤敦欣さん。 大西さんたちの“やってみたい”という気持ちにいつも気持ちよく協力してくれる

「まち全体が工房なんです」

木曽平沢は近世頃から漆工芸で知られ、昭和40年頃までは座卓やこたつ板がどんどん売れたので、「問屋さん対抗で野球ができたくらい」多くの人がいたのだと伝統工芸士の伊藤敦欣(あつよし)さんが話してくれた。だが、暮らしの変化とともに漆製品の需要が減り、バブルが弾ける頃には人口も当時の半分にまで減った。宮原さんは、「大西くんたちが来てくれていろいろとやってくれるもんで助かる。よそから人を呼んでくれて、このまちがいくらかでも栄えるようになってくれればいい。時代の波には勝てないから仕方のないことだと思うけれど、大西くんたちがいなければまるっきり静かなもんだからね」と言う。

だけど、大西さんがまちを見る目はちょっと違う。「ここはまち全体が工房なんですよ」。密集した漆器店と工房と住宅の建物は、現在進行形で漆工芸を通して見通せる場所として存在している。大西さんはここに可能性を見る。「漆は水気や酸に耐性を持たせるのに良い天然素材と技術です。木や土と親和性があることで、漆は縄文時代から暮らしのなかで使われ、長い年月をかけて漆の技術が堆積してきたんだと思うんです。いまなら現代の暮らしにあったかたちや新しい表現の可能性があるはずで、新しい組み合わせがあってもいい。そういうことにすでに挑戦している人たちもここにはいます」。近年テクノロジーがものすごいスピードで発展し、ものがロボットによって生産・流通していく時代になっていくなかでも、「“手でものをつくる暮らしがしたい”と願う人がとどまれる環境を、まちにこれまで蓄積されてきたものを使って凝縮したい」と大西さんはいうのである。「このまちには工房というハードがあり、産業の歴史と技術というソフトがある。利便性もいい。中山道にあるまちだから、都会につながる交通の利便性もいい。これはこのまちにある資源だと思う。他の地域にはない堆積した資源を耕すことで“ものづくりのある生活”を耕したい」。それを目指すには、「麻太のいえになにもかも一箇所にまとめなくていいんです。このまちは端から端まで歩けるので距離感が近いし、独自になにかを始めている人たちもすでにいる。そういった場所で見えない境界線も越えて、麻太のいえもその一部として繋がったり、また他の誰かにも耕されて混ぜ合わさっていければいいのかな」。


「日常生活をしながら滞在できるベースキャンプにしたい」

こうした活動をしていると、よく「地域おこしをしているんですか?」と聞かれるのだそうだ。しかし、「僕たちは、ここでやることに自分たちのメリットを感じているだけで、地域を活性しなきゃ、と思っているわけではない。地域活性化って、個人を活性化しないといけないと思うんですよね。自分たちが自分たちのために周囲の人を活性していけば、お互いが必要とされて自分のやりたいことができる幅が広がっていいんだと思う」と大西さんはいう。「自分がここでの人間関係を活動のメリットにするための地域との関わり方が、周囲からは地域おこしのように見えているんだと思います」。

「やりたいことはやりたい奴が自分でやる」のが大西さんたちのポリシーだ。古い建物をベースキャンプとしてそれなりに使いやすくするためにいじるにはそれなりのお金が必要だ。「特にトイレ工事は配管工事に必要な材料は道具の他、役所への申請に必要な書類などの作成にも費用が必要です。ただ、建設現場で配管の仕事をしている自分が、ある程度、改装の技術とわずかですが初期投資できる余裕があったので、設計士の仲間が書類作成をしてくれたり、麻太の利用者や地元の方々が配管DIYに参加してくれたことで、費用を三分の一くらいにすることができました」。

麻太の家の運営は現在、主に麻太の家を利用するメンバーシップの利用費というかたちでの出資で賄われているという。「助成金を使うという選択肢もありましたが、使わなかったのは、麻太の家を利用するメリットを、意識的に自分たちのものとしているからです。結果的に他所から来た自分たちの熱意が周囲にも伝わるし、お手伝いをしてくれる地元の住人たちにも、自分たちが外的な意志の下で働いていない、ただの生活者として付き合いができるように感じてもらえたらと思います。地域おこし系の現場ではNPOや行政が運営することが多いのですが、助成金がなければ運営できないプロジェクトも多いようです。自分たちの場合、ものづくりの環境のあるベースキャンプをつくることが目的ですから、週末などの少ない時間を使ってDIYをする自分たちにとって、助成金獲得を目的とした業務に費やす時間がデメリットだったんです」。

地元の人たちと良好な関係を築いていくまでには、失敗も反省もあった。それでも続けてこられたのは、「地元の方々が声をかけてくれたり、同じ失敗をしないようにと、よい協力関係づくりに協力してくれたからで、とても感謝しています」。大切なのは相手の立場を互いに思いに思いやること。「いまだに模索中ですが、“甘やかされないようにする”ことを意識していますね。どんなに相手が“いいよ”と言ってくれても、そればかりしていては持続的でフェアな関係が築かれない。互いができることを交換し、協力してくれた企画が収益を得るようにするにはどうするかと一緒に考える。そこに信頼関係が生まれると思います」。

「麻太の家」は、自分たちがそうだったように、ものづくりに関わる生活をしたい仲間や学生たちが、日常生活を送りながら「それぞれがやりたいことを見つける “ベースキャンプ”にしたい」と大西さんはいう。宮原さんといま計画している木工スタジオやゲストハウスも、「麻太の家に滞在しに来る人が運営してみたいと思ってくれたらいいな」と思っている。かつてこのまちに来た彼らが、地元の人たちと交わることで成長してきたように。

2016年春に開催された木曽漆器祭ではワークショップカフェを行った


麻太の家で普段づかいとワークショップで使う漆器は紙製。 大西さんが考案し、伝統工芸士の伊藤敦欣さんに色漆を塗ってもらい、2016年春のワークショップでテスト販売してみた。薄くて軽いので使い易く、洗剤でも洗える

伊藤敦欣さんの作品。麻太の家に寄付してくれた


取材:2016年10月

塩尻を
耕すための
取り組み

塩尻耕人たち