余剰野菜がもったいない。
農家の嫁だけで企業組合をつくっちゃった。

矢沢加工所の耕し方

お話を伺った矢沢加工所の塩原さんと笠原さん

「ジャムやジュースを自分たちでつくれたらいいよね、やってみない?」

女性だけ8人の会社で、平均年齢78歳。2004年に創業した矢沢加工所企業組合は、ジャム、ジュース、味噌などの加工製造販売している会社だ。例えば、自然のうまみがたっぷりと生きている果汁100%のぶどうやりんごのジュースは東京の高級スーパーでも人気の商品。市内の小中学校の給食にはここのお味噌が使われているのだ。オリジナル商品のほか、塩尻市長が育てた大豆を使った「市長の味噌」を製造しているのもここ。お豆腐づくりやそば打ちの教室もいろいろなところで開催している。


「預金通帳を持ちたかったのよ」

そもそものきっかけは20年前の長野県が農家の主婦たちを対象にした「農村婦人学校」だ。野菜のつくり方から始まり、加工技術、冠婚葬祭までも学んだ。塩尻市が農村の女性の地位向上のためにつくった「農村婦人の家」でも研修した。農家は現金収入が少ない。だから農家のお嫁さんたちは自由になるお金を持つことが難しく、自分の預金通帳もなかった。旦那さんやお姑さんからお金をもらうことがあたりまえ。そのことを「自分たちで解決していく問題じゃないかな、と思ってね。自分たちでがんばってお金を貯めようじゃないかということもそこで学んだ」(理事長塩原輝子さん)。一緒に勉強した女性たちで「自分たちでも農業技術を確立して、お金になる農業をやろう」と、余剰野菜をトラックで売り始めたのが1985年。「本当に売っていくことはたいへんだと思いました。私は兼業農家へお嫁に来たんだけれど、人にものをあげることはあっても売ることはなかったから、買ってくれた人に“ありがとうございます”という言葉も出ないの。恥ずかしくて(笑)」(塩原さん)。売り上げを農協に預けて自分名義の預金通帳をつくろうとしたのだから、売るほうも一生懸命になる。1995年には当時まだ松塩地区にはなかった直売所を設立した。


「自分たちの加工所をつくろう」

塩尻の野菜や果物を使った「自分たちの加工所をつくろう」と思い始めたのは1998年頃からだ。しかし、いざ始めるとなるとお金がかかる。実現に向けて、「どれくらいやったかわからないくらい」(塩原さん)繰り返した毎晩の会議にも、「市役所の方も中小企業団体中央会の方も、農協の方も飛んできてくれてね。書類の書き方も全部お手伝いしていただいて。市役所の方は、このさきどれくらいの売り上げになるかとかも全て教えてくださった。いい普及員さんもついてくれた。本当に親切にしてもらって、本当にありがたかった」。7人のメンバーでお金を出し合い、足りないところは融資を受けた。統合された保育園から流しや調理台などの厨房用品から小さなお皿からお鍋までを譲り受け、建物は長野オリンピックのときに使われた中古のプレハブを業者から安く手にいれた。そして、2004年、矢沢加工所企業組合として法人化し、創業を開始した。営業もしないのに、知り合いから知り合いへとつながって、自然と販路も広がっていった。


「いま、次の経営者を探しているの。私たちを雇ってもらおうと思ってね」

小学二年生にお豆腐づくりを教えて30年になる。若い新規就農者が友達がいなくて寂しいようだと聞けば、「おせっかいおばちゃんがやるからきてください」といって交流会を企画する。市のインターンシッププログラムでは主婦インターンも受け入れている。自らインターンを志願する若者も訪ねてきた。最近では30代の若いメンバーも参加し、新しい商品企画を練っている。 「いまね、次の経営者を探すというインターンシッププログラムがあるの。もう疲れちゃってね(笑)。まだ5年くらいは私たちもなんとかやれるから、私たちを雇ってもらうの」と理事長の塩原輝子さん。矢沢加工所が耕してきた土壌に、新しい力が育ちつつある。



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