鶏も人も等しく幸せに。自然養鶏家が地域で紡ぐ、確かな暮らしと小さな循環

しばた養鶏 代表 柴田勝さんの耕し方 2026.08.31

長野県塩尻市の霧訪山のふもとに、「しばた養鶏」という小さな養鶏場がある。「ガスなし、電気なし、水道なし。たくさんの方との繋がりで地域循環型養鶏を実践中」。しばた養鶏のSNSには、そんな一文が添えられている。オーナーは、柴田勝(しばた・まさる)さんだ。

しばた養鶏で実践するのは、「自然養鶏(※1)」と呼ばれる「できるだけ自然に近いところで、母鶏が元気にストレスなく暮らせる環境をつくる養鶏」。自然養鶏と聞くと、どこか耳慣れない養鶏法のように思える。それもそのはず、日本全体の採卵養鶏を見ると、全国で数千戸ほどの飼養戸数があるなかのほとんどが「ケージ飼い」と言われる大規模飼養だからだ。さらに、1戸あたり1,000羽に満たない「平飼い」や「自然養鶏」を含む小規模養鶏は全体のうちの1割にも満たないといわれており、統計にも含まれないことが多いされている(※2)。

土地を確保し、鶏舎を建て、鶏が土の上を歩き回れるスペースをつくる。人の手で毎日掃除をし、餌の元になる副産物を各地に取りにいき、発酵飼料をこしらえる。自然養鶏家を生業として生きるということは、効率の良さとは少し異なる方向に舵を切ることでもある。

それでも柴田さんはそれまで働いていた会社を辞め、退職金をはたいてこの地に鶏舎を建てた。さらには、養鶏場の運営だけでなく、コロナ禍の2022年に始まり現在は地域で月一で開かれている「たのめいち」の運営や、2025年2月にオープンした「たまやどり」の運営、お買い物バスの運転手など、養鶏家という肩書きにとどまらない活動をしている柴田さんの生き方には、「鶏も人も等しく幸せになる養鶏とはどんなものか」、そして「地域で自分たちの暮らしをどう守っていくのか」という問いが静かに横たわっている。問いの答えにつながるヒントを探るべく、本格的に梅雨に入った6月のある日、私たちはしばた養鶏を訪れた。

※1 戦後の食料増産と効率化のなかで省スペースで大量に生産できる大規模化が進んだ流れに対して、自然養鶏は「鶏本来の暮らし」を取り戻そうという動きの一つ。なかでも中島正氏による『自然卵養鶏法』で小羽数平飼いと自家配合飼料を基本に、鶏の生態に合った健全な飼育を目指すものとして紹介された
※2 MAFF、鶏(採卵鶏)の飼養戸数・羽数の推移(2024)

 

まるごとの自然が成り立たせる養鶏

塩尻市の中心市街地から車を走らせること15分ほど。南を隣の辰野町と接した地域が北小野と呼ばれる集落だ。上り坂の田んぼの畦道を進むと、「上田」と呼ばれる養鶏場がある場所に着く。


養鶏場の入り口には「SHIBATA YO-K」の文字。さっそく愛犬の「ゆきち」が出迎えてくれ、私たちは鶏舎に案内された。雨に濡れた土の匂いと、発酵した飼料の香りがじんわりと混じり合う。

愛犬のゆきちと


屋根があるのは鶏舎部分のみ。その他は鶏たちが自由に駆け回れるスペースが十分に確保されている。キツネやイタチなどの野生動物の襲来を防ぐため、フェンスやネットこそ張り巡らされているものの、地面には砂浴びの跡らしき穴がいくつも掘られているのが目に留まる。現在ここで飼養中の鶏は約190羽。風の通りがいいのか、鶏特有の匂いもほとんどしない。

小さな頃から人間が身近にいる生活に慣れている鶏たちは、人間が近づいても全く驚かない


「鶏は30秒呼吸できないだけで死んでしまうリスクがあるので、風通しには本当に気を遣っています。同時にそれがこの場所の良さでもあると思うんですよね。獣とかも出るのですが、自然に囲まれて、空気がすごく美味しい。 水も、地域の湧水を汲んであげています」

現在、しばた養鶏では、アローカナ、モミジ、アズサの3種類の鶏を育てている。グレーの毛色が特徴的で青い卵を産むアローカナ、茶色っぽい毛色で赤みがかった殻の卵を産むモミジやアズサ。鶏たちは「コッコッコッコ……」と鳴きながら、先ほど柴田さんがあげたばかりだという餌をついばんでは、時々こちらの様子をうかがっている。

養鶏場の土地は、知り合いづての紹介。隣接した田んぼでは、取引のある酒蔵で使う酒米を栽培中。酒蔵からは酒かすをもらって自家製飼料の原料にしながら、しばた養鶏で出た鶏糞はまた土に変えるという循環も生まれている


「餌は、近くで採れた緑草を混ぜてあげているのですが、こういう草を食べていると卵の黄身の色が自然と濃くなるの。冬場は逆にあげられなくてレモンイエローっぽくなっちゃうんだけど……。あとはもう本当にいろんなところから副産物をいただいていて。農家のみなさんからはくず米、クラフトビールの醸造場からは搾りかす、地域の飲食店からは食物残渣、豆腐屋さんからはおからなど、いただいたものを発酵させて、自家製飼料として毎日あげています」

朝とれたばかりの卵。青みがかった卵の他、薄紅いろ、赤っぽい卵などたくさんの色がある


手づくりの飼料を食べて健康に育った鶏たちの卵は、雑味のない淡白な味で、地域でも評判に。卵の臭みが苦手な子でも、ここの卵なら美味しく食べられるという話も。今はふるさと納税や直売所での販売、飲食店などへの卸売を行っている。

柴田さんの1日は朝に鶏たちに餌をやり、卵を採って、鶏舎を掃除してからは1日のほとんどを餌の原料となる副産物をもらいに各地を回っているという


「お寿司屋さんともお取引があるのですが、大将からは『もう卵の味が他と全然違う』ってお褒めの言葉をいただいて。僕のような養鶏をやっている人はどんどん減ってしまっているみたいで、『すごくいいことをやってくれているんだ』と。そんな言葉もいただけて、とても嬉しいです」

 

46歳で選んだ「自然養鶏家」という生き方

地域内外で根強いファンが多いしばた養鶏だが、その歴史はまだ浅い。スタートは2021年に遡る。それまで会社員をしていた柴田さんは、諏訪にあるごみの回収・リサイクル会社で、スーパーから出る食品残渣を工場で堆肥にし、農家へ届ける仕事をしていた。

食品ロス、循環、堆肥。振り返ってみればしばた養鶏の「地域循環型」へと自然につながるが、働いていた頃はまだ、養鶏のことを考えていたわけではなかったという。

転機が訪れたのは、コロナ禍のさなかだ。行動制限がかかり、「スーパーに行けばものが手に入る」が揺らぎはじめたとき。「買う」だけではなく、「自分たちでつくる」方向へシフトしたいという感覚が、少しずつ強くなっていった。


「ある人はお米をつくって、またある人は野菜をつくって、っていうコミュニティができたらいいなって思っていたんです。じゃあ自分は何をやるか、と考えた時に卵かな、と」

養鶏家を志す直接的なきっかけとなったのは、2020年2月ごろに見たテレビの特集番組だった。四国のとある地域に、人びとが卵かけご飯を求めて行列をつくっている様子を目にしたのだ。さらに同じ頃、「養鶏やってるけど後継者がいないんだよな」という知人の話も耳に入ってきた。

「それからしばらくして、もう本当にビビッと来て。養鶏だって」

これまでは建設会社やごみ収集会社で働き、「自分に合う仕事は何か」を20代の頃からずっと探してきたという柴田さん。それでも、ここまで強く「やりたい」と思えたのは初めての経験だったという。

養鶏場の仲間のヤギ2頭。ヤギは大豆の殻を食べることから、近隣の農家さんが豆殻を持ってきてくれることも


「その時、自分は46歳。40代半ばにして、初めてこれをやりたいって心から思えたものが養鶏だったんですよ。まずそれが純粋に嬉しかったんです」

設備投資も大きく、経験もないゼロからのスタート。周囲からは止められたが、それでも柴田さんは、退職金を養鶏の設備に回し、独学で養鶏を学び始める。

「建設業もやって、産廃収集業もやって。始めたのは遅かったけど、この歳だからこそできたというか。全ては無駄じゃなくて、それらがあったからこそ次につながったというのが、今は言えるような気がします」

建設現場で身につけた技術は鶏舎の設計に、リサイクル工場で得た知識は餌と堆肥の循環に生かされていく。振り返ってみれば、これまでの経験全てが、しばた養鶏の土台をつくっていた


コロナ禍という社会が大きく変化したタイミングでのスタートだったことも、今思えば影響していたように思う。それがきっかけで移住した人や、Uターンで地元に帰ってきた人たちもたくさんいたという。

「目まぐるしく変わっていく不安定で不確実な時代のなかで、とにかくあそこに行けば卵が買える、ここに行けばお米が買えるといったような、とにかく食べるものを守らないといけない、という気持ちもありましたね」

 

地域とのご縁あって続けられる仕事

養鶏を始めてしばらくは、大雨による水害があったり、獣の被害に遭ったり……。上手くいかないこともしばしばだったが、徐々に事業が軌道に乗り始めたのは、地域の人たちとのつながりによるところも大きかったと柴田さんは振り返る。

「僕はもともと諏訪出身なので、始めてから4〜5年くらいはずっと諏訪から北小野に通っていました。2年目に仲間たちと北小野地区センターで『たのめいち』という企画をやった時に、初めて地域の人たちと知り合いになったかな。そこでようやく顔も覚えてもらえるようになって」

たのめいちの様子(編集部撮影)


「たのめいち」は2022年のコロナ禍でイベントや祭りが中止になるなか、地域の人や子どもたちに喜んでもらえるような企画ができないかと、隣り合う塩尻市北小野と辰野町小野を合わせた両小野地区の人たちが合同で始めたもの。柴田さんは、たのめいちの実行委員長でもある。

「北と南で行政区こそ違いますが、僕らは“両小野”として北も南もないと思ってます。ご高齢で車が運転できない人たちもいるので、たのめいちは買い物弱者の方が、安心な食材と日用品にアクセスできる機会の提供として、生産者が集まって、食品や日用品を販売しています」

地域で動くなかで、地域の人との関係が徐々に育ってきたという柴田さん。昨年からはヒヨコ専用の飼養スペースを借りることもできた。

この日いたのは、生後2週間ほどのアズサ種の雌のヒヨコたち。100羽ほど仕入れ、翌年の初産みに向けて育てていく


「産まれてからすぐは特に注意が必要な時期なのですが、4年目までは結構苦労していたんです。せっかくヒヨコを仕入れたとしても途中で命を落としてしまうと、養鶏家としてやっていけません。実際はなかなか上手くいかず、去年は『今年ダメだったら、もうやめようかな』と思っていたぐらい。だけど、ここを借りられるようになって初めて上手くいくようになって」

温度が一定で管理に適した場所であること、巣箱の熱処理という消毒方法を取り入れたことなど、細かな工夫を重ねて、ようやく最近は安定して育てられるようになってきたという。

柴田さんは、一羽一羽の大きさや体調などを毎日観察。少し小さい子、目の開きが気になる子。心配なヒヨコには、自然と目がいく


なお、ヒヨコに小さなうちから人の声を聞かせるのも、大事なポイントだという。


「人間が近くにいることや、喋っている様子を見せたりして、人間は怖い存在じゃないよっていうのを教えてあげます。小さいうちから人と触れ合うことを鶏が怖がらなくなることで、将来、卵採り体験で子どもたちが鶏舎に入ってきても、鶏たちがパニックにならない。人がいることが当たり前の環境を、ヒヨコの頃から少しずつ覚えさせていくんです」

なお、鶏は年を重ねると卵の質が安定しなくなるため、新しいヒヨコたちを迎える「ローテーション」は年に1回。役目を終えた鶏は食肉として「うまみ成分」が高く、味にも定評があるという。

 

関わるからこそ見えてきた地域の輪郭

たのめいちの流れから新たに生まれたのが、「たまやどり」だ。月に一度のたのめいちだけでなく、日常的に人が集える拠点として2025年2月にオープンした。

国道153号線沿いの大きな看板が目印


柴田さんのほか、自然にできるだけ負荷をかけない方法で農業を実践している人、味噌や醤油、漬物づくりが得意な人などさまざまなメンバーが集い、運営している。

コーヒーを飲んだり、ワークショップに参加したり、しばた養鶏の卵を使ったお菓子を買ったり。子どもから大人までが集まり、交流する場となっている。

たまやどりの店内には、しばたさんの卵以外にも、素材にこだわったお菓子や自然食品、自然由来の生活用品などが並べられていた


「つい先日は、養鶏場で卵採り体験をして、たまやどりで採った卵を使った朝ごはんを味わう企画をやってくれた人もいて」

たのめいちが入り口となり、たまやどりが「居場所」として立ち上がっていく。卵を売るだけでは届かなかった人と人との関係が、そこでは育まれている。そして柴田さんは今、お買い物バス「たのめ号」の運転手も務めている。

「運転手をやってみて感じたのは、地域が見えてくるっていうか。『北小野支所でイベントやってるから来て』と言っても、国道渡るのが怖いって話があったりとか。同じ地域に暮らしていても、道一本、信号一つで行動範囲が変わって。支所の近くに住む人はイベントに足を運びやすくても、国道を挟んだ向こう側に住む人にとっては、その一歩が大きなハードルになるということがわかってきました」

柴田さんがお買い物バスの運転手をやる理由は農業だけに収入を頼らず働ける選択肢を地域で増やしたいから。副業や雇用の入り口が広がることは、移住者や地域の人が無理なく地域に関われる土台になると考えている


さらに、社会福祉協議会のみなさんとも話すなかで見えてきたことは、どれだけ行政や福祉のサービスがあったとしても、ときには相談しにくい課題もあるということだ。

「みなさん、困りごとって知られたくないんですよね。じゃあどうするかというと、実はその困りごとの解決はお隣の人や知り合いがやってくれたりしているんです。だから本当の困りごとは、地域の民間団体がまずキャッチしながら、これは僕たちだけでは手に負えないねといったものを投げるような新たなかたちが必要だと思っています。

行政だけに委ねるのではなく、民間があることで上がってくる問題もあるし、逆にこれは上げちゃいけないという問題は僕たちがここでなんとかしてあげる。たまやどりは、そういう拠点にしていきたいなと考えています」

 

受け継いでいく循環の輪

たまやどりが担う役割として必要なのは、「子どもからお年寄りまでが集まれる場所」であることだ。

背景には、知り合いが家族の介護をした時に感じた違和感を聞いた経験がある。 「母がデイサービスにいやいや通う生活を見て、お金を出してそういうことをやったけど、今思えば本当にそれでよかったのかな」と話す知人の姿に、柴田さんは「身内ではなくても、年を取ったときや困った時にお世話し合える母体を地域のなかに持ちたい」と考えるようになった。 将来、自分たちが不自由になったときには、たまやどりに来て野良仕事を手伝ったり、忙しいお母さんの子どもの面倒をみたりして過ごすような場にしたいという。

外から訪れる若い人たちと、地元の人たちの交流の場にもなっている(クラウドファンディングページより)


「将来自分たちにもいいような場づくりでもある。お金を出して施設に行くのもありだけど、今からこういうところに投資して、逆に『自分たちが年取った時はここでお願いね』とか、『頼むよ』というつながりをつくることもできる。 今来ている子どもたちが大きくなって『あの時お世話になりました』と戻ってきてくれるような関係性になるのも、循環だと思うんです」

まちづくり支援金を得た今年は、月1回、外部から講師を呼んでイベントを実施している。

「先日はクマに関するワークショップの講師に、信大の教授をお呼びしました。回数を重ねるなかで、講師として来てくれた人たちとも新たなつながりが生まれ、地域での活動でもできることが広がっていくといいなと思っています」

地域で少しずつ生まれてきた循環に、柴田さんは自らの養鶏も位置付けている。

「僕もいつか養鶏ができなくなるから、それをやりたいといってくれる未来の誰かに託したい。決して高い収入じゃないかもしれないけど、育てた米や卵の販路はある程度僕の方で基盤をつくってあるんで、そこで売ることで卵でも生計を立てられるかもしれない。 で、また誰かがその卵を使ってたまやどりでお菓子をつくったりとかワークショップをやったりして、いろんな循環が続いていく、そういうところを目指しています」

たまやどりの立ち上げメンバーと一緒に(クラウドファンディングページより)


取材前、「自然養鶏」という言葉から想像していたのは、鶏にやさしい卵のつくり方だった。しかし、実際に現場に行ってみて見えてきたのは、それ以上の関係性だ。鶏と人が、自然のなかで「持ちつ持たれつ」でいられるための、一つのあり方としての自然養鶏。

その関係性は、鶏と人の間だけにとどまらない。食品ロスを飼料に変えること、鶏糞を田んぼや畑に還し、新たな収穫につなげること。地域での顔の見えるやりとりを続けること。そうした一つひとつの関係性の積み重ねの「結果として」、柴田さんの周りには循環と呼べるものが、ゆっくりと立ち上がってきている。

そしてその根っこにあるのは、「自分たちの生活は自分たちで守る」という、ごくごくシンプルな感覚だ。

お金を払ってサービスを受けるだけではなく、地域のなかに小さな助け合いの母体をつくり、自分たちの居場所をつくっていく。それは、制度の外側にある、民間だからこそできる確かな「自治」のかたちでもある。

あそこに行けば、卵がある。足元の確かな暮らしは自分たちからたぐり寄せ、つくっていける。しばた養鶏の卵の向こう側には、そんな暮らしの選択肢が静かに映し出されている。


取材:2026年6月

text:岩井美咲 photo:山田智大

edit:近藤沙紀(三地編集室)、今井斐子

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