徹底した目標品質の明文化。研究畑出身の所長がチームで目指す珠玉のワイン

サントリー塩尻ワイナリー所長 齋藤卓さんの耕し方 2024.11.20

“一本のワインボトルの中には、全ての書物にある以上の哲学が存在している”

ワインやビール、牛乳などを低温殺菌する技術を発明し、近代細菌学の祖と呼ばれるフランスの細菌学者のルイ・パストゥール氏(Louis Pasteur、1822〜1895)は、かつてワインについてこう語ったという。

果物のブドウから採れる果汁を発酵させてつくるアルコール飲料のワイン。原料となるブドウの品種や、畑の土質、気候、そして生産者の栽培方法や醸造家の醸造方法によって、さまざまな味わいや香りを楽しめるお酒として、世界中の人々に愛されてきた。

世界的に見ると日本はワイン新興国とされているが、ワイナリーの数は全国各地で年々増加傾向にある。長野県塩尻市は、1989年の国際大会で塩尻産メルローが金賞を受賞してからというもの、ワインの産地として知られており、2024年10月時点で16のワイナリーが確認されている(※広報塩尻2024年10月号の特集を参照)。

漆器と並んでワインの産地として知られる長野県塩尻市。JR塩尻駅のホームは日本で唯一、ブドウの棚があることで知られている


今回インタビューしたのは、「サントリー株式会社(以下、サントリー)」のワイン生産部が管理する「サントリー塩尻ワイナリー」。サントリーが塩尻の地にワイナリーを開設したのは1936年のこと。以来、日本人の嗜好に寄り添いながら地域の農家の方々と手をたずさえて、日本ワインの歴史を塩尻から切り拓いてきた。

つくり手としてワインづくりにかける思いだけでなく、大企業だからこそ地域にむけられる眼差しなど、インタビューを通してサントリー塩尻ワイナリーならではのものづくりの思想や哲学が明らかになってくるかもしれない。私たちはJR塩尻駅にほど近いサントリー塩尻ワイナリーを訪れ、所長の齋藤卓(さいとう・たく)さんにお話を聞いた。

 

始まりはワインだった。塩尻のブドウ栽培産業と共に発展してきたサントリーの歴史

サントリーといえば、国内で知らない人はいないくらい有数のグローバル食品酒類総合企業である。アルコール飲料としては「ザ・プレミアム・モルツ」や「サントリーウイスキー角瓶」などで知られるサントリーだが、その歴史はワインから始まっていた。


女性のヌード写真を起用した赤玉ポートワインのポスターは、日本で初めてのヌードポスターといわれ、一気に商品の名を全国にとどろかせることになった(写真提供:サントリーホールディングス株式会社)

古くは紀元前から飲まれていたことがわかっているワインだが、そもそも日本人がワインを飲むようになったのは比較的最近で、明治時代からといわれている。

初期の頃は薬酒というイメージが強く、輸入ものが中心だったワインは、「酸っぱい」などの理由からなかなか普及していなかったという。そこで「日本人の口に合うワインを」と、サントリー創業者である鳥井信治郎(とりい・しんじろう)氏が1907年に開発したのが今でも製造・販売されている「赤玉ポートワイン」である(1973年に「赤玉スイートワイン」に名称変更)。

一躍ヒット商品となった赤玉ポートワインの原料となったのが、コンコードという米国原産のブドウ品種。このコンコード品種が、サントリーが塩尻でワインづくりを始める直接的なきっかけをもたらした。政府が国内の産業を活性化して生産力を強化するために全国で行った「殖産興業政策」の一環で、塩尻は特にコンコード品種の栽培の中心地となっていたのだ。自社のワイン畑を持たなかったサントリーが安定的な生産体制を整備するために組成したのが、塩尻地域の生産者が集まった「赤玉出荷組合」。今日も、サントリー塩尻ワイナリーで醸造されるブドウのおよそ半分は、赤玉出荷組合から供給されているという。

「生産者の皆さんのお力なくしてワイナリーの運営はできない。農家さんと一緒に共存共栄で頑張っていきたい」と語る、サントリー塩尻ワイナリー所長の齋藤さん。2023年からワイナリー所長に就任した齋藤さんに、自社で管理するブドウ畑を案内していただくことになった。


日々、観察と実験。自社管理畑でのブドウ栽培に関するこだわり

案内されたのは、JR塩尻駅から車で15分ほどの高台にある、岩垂原(いわだれはら)というエリア。サントリー塩尻ワイナリーが塩尻市内で自社管理する畑は、長野県塩尻市の桔梗ヶ原と岩垂原エリアの2箇所。なかでも岩垂原は、「登美」(山梨県のサントリー登美の丘ワイナリーから生まれるサントリーが手がける最高峰の日本ワイン)と並んで「シンボルシリーズ」という高価格帯のワイン用ブドウを栽培している地域。畑について齋藤さんが説明してくれた。

サントリー塩尻ワイナリー所長の齋藤さん


「岩垂原は、地名に岩という字が含まれているように、地面を掘り起こすと岩がゴロゴロと出てくる地域です。この辺りを流れる川からの堆積物で出来上がっていますが、桔梗ヶ原に比べるとこちらの方が新しい土地らしく、地質学的に岩の上の堆積物が少ないんです。地面をちょっと掘るだけですぐに礫(れき)質の土壌が顔を覗かせるような場所なので、非常に水はけが良いです。そのため、とても凝縮感のあるブドウが育つ場所といえます」

およそ1ヘクタールほどの畑を進んでいくと、整然と並んだブドウの木立の隙間から、ところどころ別の植物が生えているのが見える。

樹冠(じゅかん、ブドウの葉っぱの部分の面積)が大きいほど太陽光を取り込むための表面積が増えて良質なブドウが育ちやすいそうだ


「2020年から他の植物を一部のブドウの木の周りで試験的に育てるようになりました。多様な植物相によってブドウが生育する環境がより良くなることでブドウの木が健やかな状態、つまり頑健性が高い状態にしておけば、病気や虫の被害をより少なくすることができるんじゃないかと考えたためです」

植物の種をまき、育ってきたらその植物を倒して土に還す。そうすると翌年にはまたその植物が生えてくる。そうすることで有機物の循環が生まれ、土中の微生物が豊かになって健康な土ができていく。また、「同じ畑の中に他の植物が多様に存在することで、ブドウの木の強度が高まるのではないかとも期待している」という齋藤さん。畑を一緒に歩くだけでも、つくり手のさまざまな試みの跡が見えてくる。

「観察を続けていると、ブドウの葉や果皮がやや厚くなってきていたり、他の植物があるところとそうでないところの味わいを比べてみると前者のワインの方が豊かな味わいが広がったり。徐々に手応えを感じ始めています」


目標品質を明文化。つくりたいワインを目指してチームが一丸となるために

岩垂原で試した栽培方法が有効であることが実証できたら、次に課題となるのは、どうしたらその栽培方法を他の地域の畑にも展開できるかだ。日々課題は立ち上がってくるものの、仮説を持って現場で実証していくスタイルは、研究者のバックグラウンドを持った齋藤さんならでは。どんなことを大事にしながらワインづくりに向き合っているのだろうか。

大学時代は花の色の研究をしていたという齋藤さん。サントリー入社後はワインに関する研究や技術開発を担当し、2年ほどフランスのボルドー大学の研究室で研究をしていたこともある経歴の持ち主だ


「僕らは『目標品質』と呼んでいるのですが、目標とするワインの味わいを達成するためには、何をしなくちゃいけないか。もちろん醸造だけじゃだめで、ブドウの栽培から醸造、醸造の中にもたくさん工程があります。各工程が一貫して目標とする品質を達成するものになっているかどうか、常に意識しようとチームで話しています」

齋藤さんは、目標とする品質を明文化し共有すること、すなわち、どんなワインをつくりたいのか、最終的なアウトプットとしてのワインの味わいを言語化し、チームとして一丸となってワインづくりをすることを大事にしているという。

ブドウの実が完全に熟すまで収穫を待つ。収穫のタイミングは、齋藤さんがワイナリースタッフと食味をするほか、登美の丘ワイナリー所属のつくり手にも現地に来てもらい、話し合って決めている


なるほど、サントリーワイナリーの公式ウェブサイトをみると、シリーズ別に何種類ものワインが並び、説明が書かれている。

“出来上がったワインの味わいは、黒苺やダークラズベリーなどのギュッと味の詰まった濃い色調のベリーを連想させる香りに、スミレの花と甘い樽からのヴァニラのタッチがあり、クリアで引き締まった透明感のある果実味と、塩尻らしい冷涼感のある酸味、量は多くないけどピシッと焦点を定めるタンニンが印象的な力と骨格のある赤ワインです”(「塩尻マスカット・ベーリーA 2021」に記載されていた説明)

(写真: SUNTORY FROM FARM Online Shopより)


ところが、天候などの状態に応じて日々変化する畑は、ある意味未知数。やってみて初めて見えてくることも多いため、作業を通じて学びにつなげていく必要がある。「自分はこう思うから、こういう作業をする」など、工程に関わる人たちがロジックを明らかにしながら作業することで、チームとして知見を蓄積することにも重きを置いているという。

「全てに当てはまることではないですが、ワインの世界って、どこか感覚的な世界っぽい印象があるじゃないですか。感覚的なものもすごく大事だと思うのですが、チームでものづくりをしている以上、目標を決めて知見を蓄積していくことが求められます。たとえ、試した方法が機能しなかったとしても、うまくいかなかったという気づきは得られる。ワインづくりは年に1度。そのため、日々基本的な作業を大事にしながら、仮説検証をくりかえして最適なワインづくりのやり方を模索しています」

ちなみに、このやり方を採用してみたところ、チームメンバーからの評判は上々。目指すべき目標を言語にして共有したことで、振り返りがしやすくなったという声もあるそうだ。

 

ものづくりとものがたりの精神で、愛される商品に

現在、長野県内の3箇所(塩尻市、松本市、立科町)で自社管理する畑のほか、全国で6箇所のエリアで契約農家と提携しながらブドウを栽培するサントリー塩尻ワイナリー。土壌や天候など、条件が異なる別々の地域で育ったブドウは、最終的にサントリー塩尻ワイナリーに集められ、醸造の過程を経て瓶詰めされたのち、商品として出荷される。醸造施設の中を見せてもらうと、大きさの違うステンレスタンクがそれぞれに並べられていた。

ステンレスタンクは大きいものから5トン、3トン、2トン、1トン、1トン以下と、異なる畑のサイズに応じて揃っている


「畑ごとに醸造できるようにすることが、一番の目的になります。がさっといっぺんに大きなタンクにいろいろな畑のブドウを入れて醸造するのは、効率的ではありますが、それぞれの畑の特徴や良さがわからなくなってしまいます。サントリー塩尻ワイナリーではワインの味わいをつくる最終工程で、できたワインをずらっと並べ、一つひとつテイスティングしていきます。タンクがはっきりわかれていることで、『岩垂原のメルロはこうしていこう』、『信州シンフォニーは異なる品種をこういうふうにブレンドにしよう』など、細かいチューニングがしやすくなります」

仕込みの時期、畑から持ち込まれたブドウは除梗され、ステンレスタンクへと運ばれていく。ポンプなどの機械を使って一気にタンクに送ることもできるが、繊細なブドウの実を守るため、目視と手作業で選果を行ったのち、コンベアで除梗機へ搬送、ぶどうの粒をさらに選果をしてから、最終的にタンクへ投入する。また、他の従業員と選果についてのすり合わせをするためにも、必ず事前に関係者一同で目合わせを行うようにしている。

収穫したブドウを醸造用のタンクに入れる際の選果の様子をパネルで紹介してくれた齋藤さん


「誰か一人のためのワインづくりにはしたくないなと思っていて。天才醸造家のような人が一人いて、全部自分で決めて、というのもそれはそれでかっこいいと思います。でも、みんなで意見を出し合って作業することで、『ああ、こうしたから、こうなったんだな』とか、一緒に振り返りができるじゃないですか。一人ひとり思っていることをちゃんと出し合った結果、いいものになれば嬉しい。僕が考える良いワインづくりは、そういうチームづくりをした上で実現するものだと思っています」

畑ごとでブドウの収量に合わせたステンレスタンクで醸造するので、最終的な味の比較やワインの出来の評価もしやすい(写真提供:齋藤さん)

大企業と聞くと、どうしても効率化、省力化のイメージが先行してしまう。畑ごとに細分化された醸造タンクを管理することや、話し合いや価値観のすり合わせの時間をとることが大事だとは思う一方、コストにもなりうるのではないかと懸念する。しかし、齋藤さんはこうした一つひとつの基本的な作業を丁寧に実践していくことが、日本ワインの発展にもつながると考えている。

「社内では『ものづくりとものがたり』という言い方をするのですが、ものづくりにおける価値を自分たちで理解して説明できなければものがたりを紡ぐことはできません。丁寧なものづくりを行うからこそ、きちんとそこにものがたりをのせて届けることができる。その両方がうまく組み合わさった商品というのは、結果的にお客さんから愛してもらえるようなブランドになっていくんじゃないかと考えています」

手間暇をかけて丁寧に。自分たちの手でワインづくりをし、それが結果的に良い品質のものにもつながっていく。そうすれば、そこでお客さんに価値を認めてもらうことができ、少し値段が高かったとしても選んでくれるような人たちが増えていく。そうした人たちを増やしていくことこそ、これからの日本ワインが進むべき道なのではないか。齋藤さんからの覚悟や信念を感じた瞬間だった。

 


地域をつなぎ、地域の課題を解決するための触媒となるワインづくり

これまでは研究や生産管理など、現場業務以外の仕事が多かったという齋藤さん。実際の製造現場の責任者としての部署配属は、齋藤さんたっての希望だったそうだ。

「製造と一口にいっても、やっぱりいろいろな技術や知見が求められますし、あんまり研究と製造というふうに分けて考えるのはワインづくりにはそぐわないと思っています。以前、登美の丘ワイナリーでワインづくりをしていた時に疑問に思っていたことをフランスで体系的に学べたということもあり、やっぱりいつかはまた現場に出てこれまでに得た知見をワインづくりの現場に還元していきたいという思いがありました。また、サントリー塩尻ワイナリーは少人数の組織ということもあって、ワイナリーをきちんと成り立たせるにはどうしたらいいかを考えるには、とても恵まれた環境なんじゃないかなと思っています」


今年は、齋藤さんにとって2回目の収穫シーズン。栽培から醸造までの工程に携わる全てのスタッフが、チームとして一丸となって最高のワインづくりをしていくやり方は、少しずつ成果という形となりつつある。

最後に、塩尻という地域でサントリーがワインづくりをすることの意義について齋藤さんが感じていることは何かと尋ねてみた。

「ブドウって植樹からしっかりと収穫ができるまでに4〜5年はかかるんですよね。そうするとどうしても未収益の期間が長くなってしまう。食べていく術として考えると、どうしても参入が難しい事業です。それでも『醸造用ブドウの栽培ってなんか魅力的なんだよな』とか、『ワインづくりをしてみたい』と思ってもらえる人を増やしたい。理想だけを語っていてもだめなんですけど、それと経済的なものがちゃんと両立できるようなモデルをサントリーのような会社がきちんと示していけるようになるというのは一つ大事なことだと思っています」


また、齋藤さんはワイナリーが地域にあることの意義についても付け加えた。

「ワイナリーの仕事は、農業だけでなく、ワイナリーと観光客との接点をつくる観光業など、いろいろな産業や社会との接点が生まれる業種だと思うんです。言い換えれば、その分、社会課題との接点がある仕事だとも思っていて。自分たちがここでワインづくりをしていくことで、そのうちの1つや2つでも課題を解決したり、より良い方向に持っていけるようなことができるといいなと考えています。時には、サントリー1社では達成が難しいこともあります。他のワイナリーや、市、異業種など、セクターを超えた協業というのも必要となるでしょうし、そういう思いをもちながらワインをつくっていきたいと思います」

齋藤さんのお話を聞きながら、ワイン業界で大切にされているテロワールという概念を思い出していた。テロワールとは、地域によって異なる土壌や地質、地形、気候など(考え方によってはそこに住む動植物・微生物、つくり手などを含める場合もある)、農産物が生育する土地の自然環境のすべてのことを指す。つまり、テロワールとは、その違いによって、ワインに明確な個性をもたらすのだ。

その土地固有のワインは、自然環境やつくり手の技術だけでなく、歴史や文化、地域の中でセクターを超えた関係性があることで形成されていく。関わる人やものと丁寧に向き合い、活かし合いながら、チームとなってワインをつくること。それが齋藤さんがワインづくりで大事にしている哲学だ。

齋藤さんのサントリー塩尻ワイナリーでの挑戦はまだまだ始まったばかり。ワインが時と共に熟成していくように、齋藤さんのワインづくりの技術や哲学もさらに進化していくにちがいない。そうして出来上がっていくワインを飲むのが、今からもう楽しみでならない。

 


取材:2024年8月

text:岩井美咲 photo:五味貴志

 edit:近藤沙紀(三地編集室)、今井斐子

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