塩尻市消防団の熱意に触れて。 救助隊の経験を活かして高めたい「地域防災力」

松本広域連合消防局/塩尻市危機管理課消防係 古厩絢さんの耕し方 2026.07.29

「消防団」という組織をご存知だろうか? 消防団は、火災や自然災害、行方不明者の捜索などが発生した際に、消防署と連携して活動する地域の防災組織だ。全国の市町村ごとに設置されていて、もちろん塩尻市にも消防団が存在する。

団員として活動するのは、サラリーマン、農家、自営業、主婦(夫)など、地域に暮らす身近な人たちだ。もしかすると、隣に住む人や職場の同僚、友人のなかにも消防団員がいるかもしれない。

一方で、消防団は全国的に団員不足という課題を抱えている。高齢化や人口減少に加え、活動内容が十分に知られていないことも要因のひとつだ。そこで令和7年度に「塩尻市消防団公式ホームページ」を公開した。活動内容の紹介に加えて、現役消防団員へのインタビューやQ&Aなどを掲載し、「消防団ってどんな活動をしているの?」という疑問に答えられる内容となっている。

塩尻市消防団の公式HPが開設されている


このホームページ企画を立案したのが、塩尻市危機管理課消防係の古厩絢(ふるまや じゅん)さん。松本広域連合消防局に所属する現役消防士であるが、令和6年度から塩尻市に出向している。

「消防士や救助隊として現場に出ていた頃から、地元の消防団には何度も助けられてきました。ある火災現場では近くに消火栓が無くて消火が難航していましたが、消防団の方々が何十本ものホースをつないで水を届けてくれました。そのほかにも、消防士だけでは人手が足りない現場で、多くの活動を担っていただいています」

ホームページを通して伝えたかったのは、地域を守りたいという想いで活動する団員の姿。そして、消防団のリアルを知ってもらうことで、地域に欠かせない消防団への入団につなげたいと考えている。

消防士のキャリアや、塩尻市で取り組んできた広報活動、そして地域防災にかける想いなどについて、古厩さんに話を聞いた。

 

救助隊員として、さまざまな現場に駆けつけた経験

消防士を志したのは、消防団の父親の姿がきっかけだ。

小学校4年生から野球に打ち込み、「将来はプロ野球選手になりたい」と考えて中学ではクラブチームに所属、セレクションを経て地元の強豪校へと進学した。中学時代にライバルとして競い合っていた選手たちがチームメイトとなり、切磋琢磨する日々を送った。

2年生のときには甲子園出場を経験。しかし、キャプテンを務めた3年生の夏は長野県ベスト4で敗退した。

「野球に対してはやり切ったという気持ちがありました。大学へ進学してまで続けるイメージが持てず、卒業後は就職しようと考えました」

将来を描いたとき、思い浮かんだのが消防団の法被を来て現場に駆けつける父親の姿だった。古厩さんが幼い頃から、父親は地元の塩尻市消防団に所属。分団長まで務めて地域防災を支えてきた。

「父が消防団として活動する姿をずっと見て育ちました。当時は消防団と消防士の違いもよく分かっていませんでしたが、人の役に立つ仕事だというイメージがあって、松本広域消防局の消防職員採用試験を受験しました」

18歳で消防士として広丘消防署に配属。その後24歳で救助隊員となった。水難救助隊や山間地救助隊で経験を積み、渚消防署では「特別救助隊」の副隊長も務めた。これまで平成26年の御嶽山噴火の救助活動のほか、平成29年の防災ヘリコプター「アルプス」の墜落事故の救助活動など、数多くの現場を経験してきた。

令和6年には能登半島地震の被災地へ派遣され、消防指揮隊として現場の統括や安全管理にあたった。

「土砂崩れで救助要請が入った民家へ向かったときのことです。住所を確認すると、その場所は流れ込んだ土砂の真下でした。被害の大きさに言葉を失いました」

塩尻市で生まれ育った古厩さんは大きな震災を幸いにも経験していない。建物の倒壊や土砂災害、寸断された道路など、大規模な地震災害を目の当たりにするのは初めてだった。現場では4〜5日間にわたり、懸命な救助活動が続けられた。

 

塩尻市に着任。消防団の想いを知って、伝える

令和6年度からは、塩尻市の危機管理課の消防係に着任。消防団にまつわる事務作業を中心に携わるはずだったが、舞い込んできたのはイベントの開催企画でした。消防団のPRと防災意識向上を図る「しおじり消防防災フェスタ」だ。

「初めてイベントの企画をおこないました。何も分からず手探り状態でしたが、たくさんの消防団員にご協力いただいて開催できました」

イベントでは、放水体験やVR消火体験、はしご車搭乗体験などを通じて、子どもから大人までが楽しみながら防災意識を高めた。会場となった小坂田公園には、約6000人が来場。各コーナーは消防団員が担当し、地域の人と消防団員が交流できる機会にもなった。


同時に進めていたのは、消防団員募集のPR動画作成だ。市内7つの全分団を訪問し、消防団活動を紹介するインタビュー動画を作成・公開した。消防団員によって、地域とのつながりや、やりがい、家庭との両立、団員同士の絆などが語られている。

「これまでに、消防団の方々から活動への想いを聞く機会はありませんでした。普段はほかの仕事を持ちながらも、仕事以外の時間に訓練をし、いざというときに駆けつけてくれます。地域防災に対して生半可ではない熱い想いを聞くことができて、本当に良い機会でした」

インターネットを検索すれば、残念なことに消防団におけるネガティブなニュースはたくさん出回っている。『消防団は飲み会が多い』『上下関係が厳しい』などの見出しが目立つが、消防団をとりまく環境はだんだんと変わってきている。

「今では強制的な飲み会はありません。そして指揮系統はしっかりしていますが、理不尽な上下関係もありません。本当のことを伝えて誤解を解きたいと感じました。そして、良いニュースはこちらが意図的に発信しなければ知ってもらえないのだと、改めて強く感じました」

消防団員募集のPR動画は、塩尻市の公式ホームページに掲載。NTPトヨタ信州塩尻店の大型ビジョンでも流れていた。


2年目の令和7年度には、冒頭で紹介した「塩尻市消防団公式ホームページ」を制作した。これまで消防団員や入団希望者から問い合わせを受けるたびに、塩尻市公式ホームページの危機管理課のページを紹介していたが、もっと分かりやすく情報をまとめて発信したいと考えていた。

「たとえば就職活動時にも、会社の情報を知るためにホームページをしっかり読むじゃないですか。消防団においても同じで、よく分からないまま入団するのは難しいですよね」

入団希望者にも、現役団員にも、必要な情報が掲載されている公式ホームページを目指した。3か月以上かけてすべての分団や本団などを訪問し、30人以上のメッセージを載せている。

「どのような消防団員が所属し、どのような雰囲気で活動しているのか、リアルに伝えることを目指しました。そして、これまでのフォーマットにこだわらず、読んでもらえるようなホームページにしたいと思いました」

公式ホームページの作成後、特に他自治体からの反響の大きさを感じるそうだ。消防団不足の課題は、他自治体でも同様だということを感じさせる。


救助隊として抱いた課題。いつかの日を想定して

令和8年度は古厩さんにとって塩尻市着任3年目。おそらく最後の1年となる。その集大成として取り組むのが、消防団の地震対応力強化だ。

「塩尻市消防団は火災対応については非常に高いレベルにあると思います。これまで操法大会や、総合訓練などを通じて、各分団・各部が継続的に訓練を重ねています。一方で、地震を想定した救助訓練や講習は、長い間おこなわれていません」

南海トラフ地震や糸魚川-静岡構造線断層帯地震では、塩尻市でも震度6弱が想定されている。行動フローチャートは整備されているものの、実際に倒壊家屋から人を救助する技術や知識を学ぶ機会は少ない。

「もし家が倒壊し、中に人が取り残されていたらどうするのか。何を使い、どのような手順で救助するのか。そうした実践的な訓練が必要だと思っています」

その想いを強くしたのが、能登半島地震だった。

「被災地で活動した消防団の手記を読みました。記されていた活動のほとんどが、倒壊した民家からの救助活動でした。『消防も警察も足りず、救助に人を回せない』と悲惨な状況が綴られていました」

災害時、消防は火災対応が優先されている。そのため地震直後、消防や警察だけでは対応が追いつかない可能性がある。そのとき、地域で最も早く動ける存在のひとつが消防団だ。

「能登半島地震の手記によれば、消防団は『救助用ジャッキ』を使用したことで、倒壊した民家から多くの命を救ったそうです。震災時の救助方法を消防団に伝えることは、救助隊として活動してきた私の使命だと思っています」

令和8年度は『救助用ジャッキ』を購入し、市内の消防団に配置する予定だ。合わせて操作マニュアルを作成し、市民総合防災訓練では実践訓練をおこなう。

「消防団の方に震災時にお伝えしたいのは、まずは自身の安全を確保すること。そのうえで活動できる状況なら、消防車両で地域を見回り、倒壊家屋があれば声を掛け、ジャッキで救助活動をおこなってほしいです」

地震がいつ起こるのかは誰にも分からない。明日かもしれないし、数年後、数十年後かもしれない。

「地震が発生した際に役立ててもらえれば嬉しいです。毎年訓練を重ねて、いつか起こる地震に備えてほしいと思います」


塩尻市の防災のため、消防団のために、何ができるのか

地震の発生が比較的少ない塩尻市では、防災や危機管理が大きな話題になる機会が多くはない。もちろん災害への備えは必要だと認識されているが、子育てや福祉、インフラ整備などの日常生活に関わる施策と比べると、優先順位を上げにくいのが実情だ。

それでも古厩さんは、消防団の存在が自身を動かしてきたと話す。

「870人の消防団員の熱意に応えられなければ、私たち消防職員が塩尻市に来ている意味はありません。皆さんの熱意に触れるたびに、自分ももっと頑張らなければと思っています」

ホームページ制作や広報活動を進めるなかで、古厩さんは団員との対話を何よりも大切にしてきた。取材や打ち合わせの際には、活動紹介に必要な話だけでなく、現場で感じている悩みや要望についても積極的に耳を傾けたという。

「顔を合わせて話をすることで、さまざまな課題が見えてきました。自分では気付かなかったことを消防団員の皆さんから教えていただくことも多かったです。その声をもとに、少しずつ待遇や活動環境の改善に取り組んでいます」

一方で、まだ十分に手が届いていない課題も少なくない。

「この2年間を振り返ると、『できた』という気持ちと、『まだ解決できていなくて申し訳ない』という気持ちが半々です」

塩尻市に着任した当初は、自分に何ができるのか分からなかった。しかし消防団と向き合い続けるなかで、取り組むべき課題が少しずつ見えるようになってきたという。

そして改善に向けて動き続けた結果、消防団を取り巻く環境は確実に前進している。

「ありきたりな言葉になってしまいますが、塩尻市に来られて本当に良かったと思っています。自分自身の糧になる経験ができましたし、多くの人と出会い、本当に良くしていただきました。

任期終了まで残りわずかですが、自分にできること、そして塩尻市や消防団に残せるものを最後まで考えながら、悔いのない形で次の方へ引き継げればと思っています」


取材:2026年6月

text:竹中唯 photo:山田智大

 edit:近藤沙紀(三地編集室)、今井斐子

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