塩尻市北小野地域の勝弦(かっつる)区。山やトウモロコシ畑、田んぼに囲まれて立つのは日本ハイコム株式会社(以下、日本ハイコム)だ。書籍印刷を中心に幅広いメディア制作を手掛けている。
メインの仕事は、学術図書や参考書・技術書など、専門性の高い出版印刷。顧客の9割は、情報・文化が集中する出版産業が盛んな東京にある企業だ。のどかな北小野と、その対極にあるような東京を、自社トラックが毎日1往復して結ぶ。
日本ハイコムでは、印刷の前工程となる印刷用データを作成するDTP(Desk Top Publishing)から、データを焼き付けて印刷に必要な原版を作成するCTP(Computer to Plate)、印刷後の製本、梱包・発送まで一貫して担っている。印刷業界では一般的に分業されているので、珍しい体制だ。
「特に私達の強みとなるのは、大手がやりたがらない専門書のDTPです。そのほか技術と時間が必要となる特殊なカラー印刷のご依頼も多くあります」と話すのは、代表取締役社長の野口勝典(のぐち かつのり)さん。

ここで印刷された出版物が、東京へ、全国へと納品される
巷で子どもたちを夢中にしている「うんこドリル」をご存知だろうか。「うんこ」という言葉やキャラクターの面白さを活用し、子どもたちが楽しく学習できるように作られたドリルは、累計1000万部を突破する大ヒットシリーズだ。その表紙には、日本ハイコムの技術が発揮されている。目を引く表紙の蛍光色の開発にほぼ1年間伴走し、2018年には印刷作品のコンクールである「ジャグラ作品展」で高い技術が評価され表彰された。
今回の取材時、応接室から工場へと向かうために靴を履き替えた。そこで驚いたのは、取材クルー4人の靴ひとつずつに、靴べらが添えてあったこと。
「私もお客様からこのおもてなしを受けたときにとても衝撃を受けまして、当社でも取り入れました」
専門書の出版社から絶大な信頼を寄せられるDTP技術のほか、「うんこドリル」を生み出した印刷技術、塩尻に拠点を置いて事業を続ける想いなどを聞いた。

靴べらから受け取るおもてなしの心
注力する商材のひとつは、医学薬学系の学術書。大学や医療現場で使われる教科書やハンドブックなどを手掛けている。
「学術書のDTPに大手は入り込みませんね。理由のひとつとして例えば『環状構造式』は非常に手間が掛かるからです。構造式を入れ込んだレイアウトもそうですが、構造式にひとつの点が付くか付かないかでも、成分が変わってくるので気を遣うんです」
環状構造式とは、炭素原子が輪の形(環状)に結合してできた構造を分子式で表したものだ。この構造式のほか、図やイラストデータは出版社から提供されるものではなく、共有された原稿やページの大まかなイメージをもとに一から作成する。それを読みやすいように組み立てていき、印刷用データのデザインやレイアウトを作る作業がDTPと呼ばれる。
「基本的にこういった学術書の部数は少ないのですが、なくなることはまずありません。こういったニッチなニーズに応えることを強みにしています」
データではなく、いまだ紙に印刷してやり取りすることも多い。紙を出版社に送ると赤ペンで修正が入り、これを繰り返すことで印刷用データができあがる。専門書が多いので、校正のやり取りは平均5〜6回と一般書よりも手間が掛かる。

医学薬学系の書物には欠かせない環状構造式
看護分野や、金融機関の行員向けの専門書を手掛けることも多い。金融分野で例を挙げると、相続アドバイザーの養成コースや、信託業務の基礎に関するテキストなどがある。
「最近増えているのは、本の中にイラストを入れてほしいというご要望です。お客様から営業がヒアリングして、当社のデザイナーがイラストを作成していきます」
デザイナーは塩尻と東京に1名ずつ在籍していて、表紙デザインにも携わる。しかし圧倒的に多いのはDTPスタッフ。塩尻本社の17名中14名が担当している。
「この時代において『印刷物ありませんか』と営業しても、受注には繋がりません。DTPや印刷のスキルはもちろんですが、出版社に勤めていた方を採用し、DTP作業のもっと前の工程である原稿整理やデザインなど、一般的には出版社が担当する作業もうちではできますので、それも強みに営業展開しています。
出版業界の課題は人手不足や技術の継承ができていないこと。それらを解決するサービスであることを伝えています」
例えば、顧客から出版に向けて原稿が届いても、出版社ではそれをさばききれないことも多くなっているようだ。特に専門書において、編集作業からお手伝いすることで需要が増えている。

DTPの作業は集中できるように、ひとりずつパーテーションで仕切ったスペースを確保
そのほか担当するのは、俳句や短歌などの愛好家団体が発行する結社誌。愛好家たちによって詠まれた作品が掲載されている結社誌は毎月ニーズのある月刊誌で、毎月20誌以上を手掛けている。
なかには自分の作品だけで1冊にまとめた本を作りたい方もいて、自費出版の依頼も増えているようだ。
「想いがこもった1冊になりますので、その想いに沿った良いもので応えたいですね。俳句仲間や親戚に配ったりするために500部などの少ない発行部数でも対応しています」
もちろん、本屋に並ぶような一般書籍の印刷も手広い。取引先出版社は300社ほど。そのなかにも公務員試験テキスト、医学書、金融書などの専門分野があり、リストを作って営業展開をしている。
「出版業界は斜陽産業と言われていまして、どうしても出版数は下がってきています。やっぱり既存顧客だけですと仕事は減っていってしまうので、毎月新しい顧客獲得を目指して営業活動しています」

手掛けた書籍、すべてが出版社の想いが詰まった作品である
県内においては自治体の議会会議録や広報誌、公民館報など、官公庁の冊子を多く手掛けている。
「例えば冊子をPDFに落とし込んで、ネット上で指定したページがすぐに出てくるようなシステムを作ることもあります。そのほか取引先のホームページの作成や改修など、完全オーダーメイドでデジタルメディアにも対応しています」
医学学会などのホームページ、ネット通販システム、珍しいところではスマホでのスタンプラリーイベントのシステムなど、紙とデジタルの両面から情報発信を支えている。
「紙からシステムまで、やっぱり両方できないと今のニーズには応えられませんね」
本社には印刷工場を構えていて、オフセット印刷機を5台有している。オフセット印刷機とは、直接紙に転写するのではなく、アルミ複合板に焼き付けてから、ゴム製のブランケットに転写して紙に印刷する方式の印刷機だ。先ほどのDTPで作ったデータを、アルミ複合板に焼き付ける作業がCTPと呼ばれている。アルミ複合板は印刷機ごとに異なり、各印刷機の大きさで出力していく。
紙に直接印刷するオンデマンド印刷に比べると、オフセット印刷は大量印刷時のコストパフォーマンスが良く、高品質で色鮮やかな仕上がりが特徴。細部まで再現できるというメリットがある。

基本的に色というものは4色で構成される。印刷機にはブラック、シアン、マゼンダ、イエローと、それぞれ別々に印刷する機械が入る。
印刷した後は、製本工程へと移っていく。アルミ複合板に合わせて、複数ページを大きな紙に印刷してあるので、それを冊子の仕上がりサイズに裁ち切っていく。この断裁作業のあと、印刷紙を折る加工をして、ページ順に正しい順番で重ねて束ねる丁合(ちょうあい)と呼ばれる作業がおこなわれる。
そして束ねられた印刷紙を、本の表紙にくるんで余分なところを断裁すると見慣れた姿に。カバーや帯をまとえば、ついに完成となり梱包されて納品されていく。ここまでが、日本ハイコムの強みであるDTP、印刷、製本、発送までを一括してできるワンストップサービス体制だ。

製本工程では、手作業が多くなる
この他社との差別化になる体制に加えて、重要視しているのは、コロナや自然災害などの緊急事態に備えるリスクヘッジ。オフセット印刷機とは異なり、すぐに印刷体制に入れるオンデマンド印刷機においては、カラーとモノクロで1台ずつ、塩尻と東京に同じ設備を置いている。
そのほか属人化を避けて、それぞれがさまざまな仕事に携われるように技術を磨いている。
「専門書によって個人の得意・不得意は多少ありますが、それもなるべく偏らないようにしたチーム体制を進めているところです」
出版業界をその名で震撼させている「うんこドリル」。名前のインパクトもあるが、ドリルの表紙の蛍光色にも目を奪われる。この蛍光色には、日本ハイコムの技術が詰まっている。
「このプロジェクトは1年をかけて出版社と伴走してきました。もともとお付き合いのある出版社から『うんこの形をした本を作りたい』というご相談をいただいたんです。正直、最初に聞いたときは『うそでしょ?』と思いました。しかし私たちは、言われたら必ず形にするのが仕事ですから、見本誌を作りながら試行錯誤を重ねていきました」
うんこの形には出来たものの、「ドリルとして1ページに掲載できる問題数が制限される」との声や、本屋の現場からは「平置きできない」「発売後に店頭で並べにくい」といった懸念が相次ぎ、断念せざるを得なかった。
「そこからは『普通のA判テキストで、どうすれば最高に目立つのか」という挑戦になりました。そこで、蛍光色をふんだんに使って『ドリルっぽくない色味』にしようというアイディアが生まれたんです」

子どもたちを虜にする「うんこドリル」シリーズ
とはいえ、一口に蛍光といっても種類は無数にある。何十種類ものサンプルを作り、組み合わせを検証する作業を繰り返した。
「先ほどのオフセット印刷機の構造のとおり、カラー印刷は一般的に4色を使っているんですが、ドリルに関しては8色使っているんです。4色で印刷したあとに全部インクを変えて、その上に違う色を塗るんです。4色だけだと蛍光色は出ないんですよ」
印刷機で印刷した後、もう一度上に塗り直す。もう一度印刷機に紙を通すとなると、どうしてもズレが出てきやすいものだ。多色印刷で位置を正確に合わせる技術を、業界用語で見当(けんとう)と呼ぶ。その見当の精度が評価されたのが、2018年のジャグラ作品展だ。一般社団法人日本グラフィックサービス工業会(JaGra)が主催する、印刷物の技術力向上と業界の技術水準向上を目指して1966年から開催されるジャグラ作品展において、全国中小企業団体中央会会長賞が「うんこかん字ドリル小学1~6年生」に贈られた。

場合によってはくすんでしまうこともある蛍光色の印刷。試行錯誤して生まれたカラーだ。
「学年によって蛍光色も変えていたので、手間が掛かりましたね。しかし、出版社の方の想いに、私達のこだわりで応えたかったんです」
今では漢字や数学、金銭教育、工作などのあらゆるジャンルで展開されて累計1000万部を突破した。出版部数が増えたため、現在の印刷は他社に移管されている。
「当社は3000部から5000部ぐらいのロットが適正。そのためドリルの印刷からは離れましたが、『長野県編』などのニッチな生産では、お声がけいただいてお手伝いしています」
印刷業界は大量の紙を扱う産業ゆえに、どうしても環境負荷が大きいと言われている。紙のリサイクルやアルミ版の再利用に努めても、使用する紙そのものを減らすことは難しい。その現実と向き合いながら生まれたのが「ハイコムの森」プロジェクトだ。
「紙をたくさん使う以上、企業として森づくりに関わり、循環型社会の一助になろうと考えたのがきっかけです」
日本ハイコム社屋の背後に広がる「ハイコムの森」。2030年完成を目標に進めて、芽吹き始めている。
「いよいよこれから植樹の段階に入ります。落葉樹を植えて丘全体が紅葉に染まるような景色を作るのが目標です」

会社の窓から見えるハイコムの森。これからもっと青々と茂るだろう
自然環境へ配慮すると同時に、森の豊かさを地域の人々が楽しめる場にしていく構想も膨らんでいる。
「紅葉の山ができたら、そこに遊歩道を整備して、地元の方々が気軽に散策できるようにしたいですね。子どもたちのトレイルランニングなんかもできたら面白そうです」
塩尻の環境を活かした活動はほかにも体験型見学会の「ぶらりハイコム」がある。取引先となる出版社の担当者を、自社工場へと招待する企画だ。特急あずさで塩尻駅まで来たら「ハイコムの森」や、社員が植栽した紫陽花が見事に咲く「あじさい公園」、名物の蕎麦や山賊焼を楽しんでもらったあとに、自社工場を見学してもらうのだ。
「この自然環境が身近にあるからできる独自の取り組みです。お客様もリフレッシュされているみたいですし、社員のおもてなしの心が見えると、なんだか嬉しく思います」

塩尻らしいおもてなしで、この事業、誇る技術を知ってもらいたい
社長として就任したのは40歳のとき。その8年前に日本ハイコムに入社するまでは、福島県郡山市の会計事務所で営業職として働いていた。
「いろんな社長さんとお話しする機会が多くて、その経験が今の経営にすごく活きていますね。尊敬できる社長もたくさんいましたし、今でも自分が悩んだときに『あの社長ならどう判断するかな』と考えてみるんです。そうすると仕事の判断につながるんです」
転職のきっかけは2011年の東日本大震災。異業界からの転職だ。入社してからは現場作業に入ったり、営業にも同行したりと、ひと通りの業務を経験した。
「直接的な被害はそれほど大きくありませんでしたが、当時は子どももまだ小さかったので不安がありました。そんなときに前代表から娘婿であった私に『こちらで手伝わないか』と声をかけてもらい、家族で移住してきました」
人生はいつ何が起こるかわからない。当時1000年に1度とも言われた大震災に直面して、実際にこちらに移り住んでみると、新しい世界が待っていた。
「良いことがたくさんありました。結局は、自分の受け止め方次第なんだと思います。住めば都っていいますけど、まさにその通りです」

日本ハイコムは1971年の創業から、工場増設や改修、東京での支社開設などを経ても、変わらず北小野で事業を続けてきた。
「創業当時、会長からこの北小野地区には産業は何もなかったと聞いています。ここに雇用を生み出して、人が働ける環境を作るっていうのは創業当時から55年間持ち続けてきた想いです。
東京にも支社はできましたけれども、やっぱり本社機能を、絶対に北小野に置き続けていきます。事業で発生する納税を塩尻でおこない、地元に雇用を生み出すという創業時の想いを引き継いでいきます」
会社の基本理念は「美しい文字の故郷」。文字を組んで印刷物として読みやすく美しい誌面を作り上げるだけでなく、この地にあって永続する会社の在り方、最終的には地域と企業活動が照らし合うような姿を目指す。
「ここに生まれ育った人々が、この地に働き、生きていける場をつくる。そして、この集落が美しい地であり続ける。地域と企業活動が『照らし合う』とはそうした両者の相互関係を築くことにほかなりません」

右から、創業した平谷芳子氏と、前代表の平谷茂政氏
変わらない想いもあれば、変わっていく展望もある。今後も生産拠点は塩尻市北小野、営業拠点は東京という位置づけは変わらないが、一寸先で何が起こるか分からない未来に向けて、時代を見据えて対応し続けていく。
「社長就任してからコロナや、インフレ、自然災害など、さまざまなことがありました。今後もこうした変化に対応しきれない会社は、東京でもこの地方でも、淘汰されていきます」
根底にあるのは、雇用を守るために安定した会社を作っていきたいという目標。
「東京以外にも奈良県や北海道のお客様もいらっしゃるので、うちの強みを生かしながら、他の地域にもマーケットを広げていきたいです。
当社の強みを生かして経営しながら、社員を守っていくことを日々考えています」

この集落が、いつまでも豊かな生活ができる場所として永遠に繁栄していけるように、働く場所を確保したい」。創業の理由が、今でも受け継がれていく
取材:2025年9月
text:竹中唯 photo:山田智大
edit:近藤沙紀(三地編集室)、今井斐子