まちおこしで子どもからお年寄りまで元気にしたい

しおじり街元気カンパニー 飯塚多佳志さんの耕し方

自由度の高いインターンに惹かれて

「最近、1カ月に1回くらい言ってるんですけどね、今の仕事が本当に天職じゃないかなって思うんですよ」

塩尻市の中心市街地活性化事業を手掛ける第三セクター「しおじり街元気カンパニー」の飯塚多佳志さんは、大きな笑顔を浮かべてそう語る。出身は新潟県上越市。高校時代は十日町市で過ごし、卒業後に東京に出て拓殖大学に通った。文字通り、塩尻とは縁もゆかりもなかった飯塚さんは、どうやって天職と思える仕事に出会えたのだろうか?

最初のきっかけは大学の授業だった。CSR(企業の社会的責任)論を学んでいる時に、あるNPO法人の担当者が招かれて授業で話をしに来ていた。その人が「夏休みにこういうインターンシップがあるよ」と紹介していたのが、塩尻市で開催されるものだった。

そのプログラムの期間は1カ月で、飯塚さんは「普通の大企業の1day、2day、1weekではできない戦力としての体験ができるかも」と思い、興味を持った。いくつかある選択肢のなかから選んだのは、塩尻市の笑亀酒造。明治十六(西暦1883)年創業の老舗である。

「ほかの会社はインターン募集の時点で8割ぐらい仕事の内容が決まっているんですよね。でも、笑亀酒造さんは秋限定で発売される『ひやおろし』を広めるというテーマで、何をやるかから学生が決められるプログラムだったんです。イベントをやってもいいし、即売会をやってもいいと自由度が高かったので、やりがいがあるなと思いました」


試飲イベントで得た手ごたえ

2016年、大学3年生の夏、初めて塩尻へ。塩尻市は研修生が宿泊できる旅館を用意していて、そこに泊まりながらもうひとりのインターン生とともに笑亀酒造に通った。「ひやおろしを広める」というミッションは決まっている。それを実現するために、ふたりのインターン生は知恵を絞った。

これまでは笑亀酒造の敷地内でお祭りを行っていたが、それでは新たな顧客の開拓につながらない。笑亀酒造の杜氏は「塩尻の水と空気で作っているお酒だからまずは塩尻の人に知ってもらいたい」と思っている。主にこのふたつの課題に焦点を当てて、初めて塩尻駅前で試飲イベントを開催した。

「初めての取り組みだったので、新聞に載ったんです。そうしたら、県外のお客さんも来てくれて。夕方から数時間だったんですけど、72、73本は売れましたね。それまでの売り上げはだいたい30本ぐらいだったようなので、倍以上です。笑亀酒造の方も、『いつもならこんなに売れない』と驚いていました」

この成功体験で塩尻に住もう! と決めたわけではない。インターンを終えて東京に戻る時、飯塚さんは「これから就活だし、良いアピールポイントができたな」と思っていた。

就活に際し、飯塚さんは社会問題を解決しながらビジネスにすることに関心を持っていた。それは、自身の体験から湧いてきた思いだった。

高校時代、野球をしていた飯塚さんは第3セクターが運営する「北越急行」に乗って野球に通っていた。北越急行は、東京と金沢を結ぶ特急「はくたか」を有していて、毎年黒字を出している有料鉄道だった。しかし、北陸新幹線開業と同時に特急が廃止され、収益の9割を失った北越急行は赤字に転落。いちユーザーだった飯塚さんは危機感を抱いた。

「北越急行は住民にとっても大事な路線なんです。僕も、北越急行がなかったら野球もできなかった。もしこの鉄道がなくなったら十日町の人たち、周辺の人たちの生活ってどうなるんだろう? と思ったんです。それから社会起業を意識するようになりました」



偶然の出会いに導かれて

とはいえ、大学3年生は現実的だ。将来的な目標として社会起業を据えた飯塚さんはいくつかの企業を受け、金属加工会社、地元のハウスメーカー、自動車教習所の3社から内定を受けた。多くの大学生と同じく「あとは遊んですごそう」と思っていた飯塚さんだが、大学4年生の7月、塩尻に戻った。

「内定が出た後のタイミングで、塩尻市の主催で塩尻のお酒と食材を味わう会が東京で開催されたんです。そこで笑亀(酒造)のお酒を出すということで、こない? と声をかけてもらいました。その時に、また別のインターンを紹介されたんです」

そのインターンは最初に参加したものとはまた別で、期間は半年。ゴールドマンサックスがスポンサーを務めていた。そこで塩尻市の木曽平沢にある山加荻村漆器店の「半年間で売れ残っている漆器を1000万円分売る」という募集内容を見て、応募を決めた。この時はずっと塩尻に滞在するのではなく、東京から塩尻に通っていた。

その秋に、もうひとつの転機があった。塩尻市の主催のイベントがあり、声をかけられて顔を出した時のこと。たまたま近くにいた塩尻からの参加者と話をする機会があり、「塩尻ってこういうことできますよね」「将来こういうことやったら良いですよね」と思いつくままに話をしていたら、その場で「もし良かったらお金払うから塩尻に来なよ」と誘われた。

その話し相手は「しおじり街元気カンパニー」の社長だったのだ。でも、当時は内定も決まっていたし、まだインターン中だったから「とりあえずインターンを頑張ります!」と返事をして、その時は終わった。

普通ならこれで立ち消えになりそうな話だが、飯塚さんはインターンが終わった後、卒業間際の2月、社長に電話をかけた。すると、社長も憶えていて、塩尻出会うことに。その時、「うちで働いてもいいよ」と誘われて、飯塚さんの心はグラグラと揺らいだ。

「会社が設立して7年目で、塩尻市から委託されている駐車場事業も安定していて、黒字が続いていると。第2フェーズとして新規事業を立ち上げて自走する仕組みを作りましょうという段階で、君が新規事業を立ち上げて黒字にしてほしい、この会社にずっといてもいいし、離れてもいいと言われました」

しおじり街元気カンパニーは、第三セクターとして町おこしを手掛けている。それはまさに社会起業を目指していた飯塚さんの希望通りの仕事だった。しかも、塩尻市は3年生の夏から何度も通い、ポジティブな印象を持っている町だった。インターンでアンケートをとろうと思えば、まちの人が気軽に答えてくれる。山加荻村漆器店でのインターンの際には、最後に市長にプレゼンをする機会もあり、いい意味で垣根の低さを感じていた。

就職するつもりだったのは地元のハウスメーカーだったので迷いもあったが、最終的に塩尻市に移住する道を選んだ。

塩尻の一番の魅力とは?

2018年4月から、塩尻で働き始めた飯塚さん。しおじり街元気カンパニーはそれまで中途採用のみで専門職の人しか採用していなかったので「おれで大丈夫なのか」と不安も抱いたそうだが、現在は水を得た魚のように働いている。

任されているのは、新規事業の種を蒔くこと。例えばほかの地方と同じく人がいなくて寂しくなった商店街を活気づけるために、夏場にビアガーデンと子ども向けの縁日を開催した。初回のトライアルだったので、2時間半のみの開催だったが、予想した100人を大きく上回る300人が訪れる大盛況に。これがきっかけで今年はもっと期間を伸ばし、商店街の飲食店にも声をかけて規模を拡大して実施することが決まった。

冬には、売り上げが低迷している地元のショッピングセンターで、県内の手作り雑貨やハンドマッサージ、アロマなどを手掛けている20店舗ほどに声をかけて、マルシェを開催。人気の店舗は1日で2、3万円を売り上げるなど賑わい、好評を博した。

ほかにも、地元の小学生と商店街の看板をつくったり、地元の高校生とまちなかにイルミネーションを飾ったりと仕事の幅は広い。そのすべてが楽しくて仕方なくて「天職じゃないか」と思っているそうだ。

「仕事が楽しいから、仕事量が多くてもぜんぜん苦になりません。なにかやりたいと思って提案した時に、社内で否定されたこともないんです。こういう道もあるよって、皆さんアドバイスをくれて。あと、塩尻に2回もインターンに来て、新聞にも取り上げてもらったので、市内の企業にも話が通しやすいんですよ。『新聞に載ってた君か、良いよ良いよ』みたいな感じで歓迎してくれるんです。本当に恵まれた環境だなと思いますね」

多くの新社会人が企業や組織のなかで荒波にもまれているから、のびのびと仕事をしている飯塚さんが眩しく見えるのだろう。なかには「1回塩尻行きたい」「仕事紹介して下さい」と言ってくる友人もいるそうだ。天職と思える仕事に恵まれた飯塚さんは、やる気に燃えている。

「塩尻の一番の魅力は、とりあえずやってみたら?って背中を押してくれるところです。働き始めて1年経って、ようやく地に足がついて周りを見る余裕もできたので、次のフェーズはしっかり売り上げを立てること。そこをしっかりやりたいですね」



text:川内イオ、photo:望月葉子

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