子どもたちの考えるドアをつくりたい

信州大学准教授 有路憲一さんと、長野県中野立志館高等学校美術教員/デザイナー 野田桐子さんの耕し方 2018.3.28

ちびっこ哲学、略して「ちびてつ」

塩尻市で子どもたちが哲学について考える「ちびっこ哲学」。大学生がプログラムを企画し、3~6歳の子どもたちと「哲学」する場だ。その活動は5年目を迎え、「ちび」を卒業してからも参加したいという子どもたちがあとを絶たないという。そんな「ちびてつ」の場を大学生や子どもたちとつくってきたのが、信州大学准教授の有路憲一さんと、当時えんぱーく(塩尻市市民交流センター)で市の交流企画職員として働いていた野田桐子さん。

えんぱーくは、ソフトを市民に運営してもらうことを前提にしてつくられた施設だ。しかし、当時はイベントやワークショップをすべて職員が企画・運営していた。野田さんはその状況に限界を感じていたという。そんなときに飛び込んできたのがある企画だった。

「有路さんのゼミの学生が、フランスのドキュメンタリー映画『ちいさな哲学者たち』を観て、『こんなことがやってみたい!』と言ったのが「ちびてつ」の始まりです。えんぱーくも市民の挑戦を応援したかったから、やりましょう!って」。(野田さん)

映画のなかで子どもたちは「死」や「愛」について自由な考えを述べながら、生きる力をつけていく。えんぱーくで始まった「ちびてつ」も「好きってなんだろう、嫌いってなんだろう」という哲学的なテーマから始まった。
「いきなり『愛ってなんだろうね』って切り出すのはあまりにも唐突でしょ。といって、導入が哲学と関係なくなりすぎると、脱線しちゃう。だからまずは、粘土で好きなものをつくって『好きってなんだろう』を考えようとしたんです。そうしたら、みんな粘土に熱中してしまって。考える時間というより、粘土遊びの時間になっちゃったんだよね」(有路さん)。

どんな流れで行うか、大学生と子どもをどう組み合わせるか、形態について、大学生たちは毎回模索していたという。「何が理想かっていうのはなかなかない」そんな当初の失敗を思い出しながら、二人は笑いあった。


熱々のことばたち

哲学する、という行為は子どもたちにとって、どんな時間なのだろう。まだ言葉すら発展途上の彼らに「哲学」ができるのか。そんな疑問に、有路さんが答える。
「哲学するって、言葉じゃなくてもっと感情的な気がするんです。情緒って言っていいのかな。子どもが紡ぎ出す言葉って本当に驚くものがたくさんあって。まだ言葉が完璧ではないからこそ、代わりに感情から出てくるから、それはそれは熱いんですよ」(有路さん)。

有路さんが小さな冊子を差し出してくれた。いままで参加した子どもたちが紡ぎだした言葉がまとめられたものだ。そこには深く、まっすぐな、力強いこころの言葉が溢れていた。一人ひとりにつくってあげたというその本に、一つとして同じ哲学はない。


子どもたちの毎日は、新鮮さで溢れ、新しい発見の連続である。その気持ちをすぐそばで誰かと毎日共有したいのではないだろうか。しかし、最近は子どもと大人が家庭で対話をする時間が減ってきている、と二人は言う。 「究極的には“ちびてつ”という場がないのが本当の理想。子どもが親に『空(そら)ってどこから始まるの』って聞いたときに、それに応えてあげることが大事なんじゃないかな」(有路さん)。
哲学は、子どもにも大人にとっても、いつも身の回りのどこにでもあり、誰か呼応し合える人がいれば哲学がふと自然に始まっていく。そして、その時間を共に過ごすことはいまいる世界の景色を広く、深く、より豊かさを感じられる視野を少しずつ、しかし着実に開いていくことだろう。

子どもたちの世界を広げつなげていく

「ちびてつ」のテーマにタブーは存在しない。人前では話題にするのははばかられる「生や死」についても取り上げる。それはすべて子どもたちに考える自由を与え、考えることは楽しいのだと気づいてもらうためなのだという。
「答えのないことを考えるという行為自体が好きという大学生は案外と多いんですよ。でも『死ってなんだろう』『愛ってなに』とか、そんな抽象的なことを人と語り合うことに躊躇があるんですね。本当は話したいけど、何となく恥ずかしい。考えることすらいけないことなのではと、いままで悶々としていた。ちびてつを通して、そんな大学生たちの本音も聞こえてきたんです」(有路さん)。


日本の学校教育では哲学を学ぶ機会は少ない。子どものときに持っていた疑問や意見を、人と語り合わないまま大人になってしまった人は多いのではないだろうか。有路さんも幼少期を振り返りながら言った。
「実は僕自身、教科書や学校にあることがすべてではなく、その外に何かもっと知らないことがあるんじゃないかって、ずっと思っていたんです。でも誰も教えてくれなかった。だからもっと、『外と、世界ともっとつながった学び』を子どもたちに届けたい」(有路さん)。
えんぱーくで4年働いたあと、高校の美術教員となった野田さんもあとに続いた。
「誰でも、外の世界とつながっていないと成り立たない。学校の中だけじゃなくて、いろんな人や世界と関わって成長してほしい」(野田さん)。

ドアマンとして未来をつくる

「僕らの仕事って、接続部分、ドアマンみたいな役割だと思うんです」。有路さんのその言葉に、野田さんも大きくうなずく。
「たしかに、私たちはやる気や能力のある人たち、想いのある人たちを繋ぐ役割として存在しているのかなって思います。そしてそれが、自分自身のやりがいにも繋がっているんですよね」(野田さん)。
野田さんが市の職員時代に企画した「こどもアトリエタウン」もその一つ。地元の工芸やクラフト作家が集まって、子ども向けのワークショップなどを行うイベントだ。
「ワークショップを体験した子どもたちが『ああ楽しい、僕も作家になりたい』って夢を持ってくれて、今度はその子が作家になって、このイベントに戻ってきてくれたらずっと続いていくじゃないですか」。(野田さん) 有路さんもうなずく。「ちびてつで『哲学って楽しい』って思った子どもたちが、僕のゼミに入ってくれて、今度は運営側としてちびてつに関わる。考えるだけで楽しいですよね」。
子どもたちが描く未来を想像する二人の顔は明るい。あそこへ行け、これをしろ、とドアマンは言わない。ただ、「外の世界」と繋がるドアを開けてあげるだけで、子どもたちは「この先に何かあるんじゃないかな」と進んでいくことができると二人は知っている。

「子どもを育てるっていうのは、ゆくゆくの大人を育てるっていうことだから」。
いま広い視野を持って育てられた子どもたちが、後の塩尻を背負っていく。そんなところまで想像しながら、有路さんと野田さんは子どもと外の繋がりをつくっているのだ。

 

取材:2018年10月
*この記事は、「旅するスクール」に参加したメンバーが作成しました。
編集:大野海香
文:ウィルソン麻菜/古畑直樹
写真:長谷川綾香

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