木を通じて人を育てたい

酒井産業株式会社 代表取締役社長 酒井久徳さんの耕し方

2011年から毎年、「木育フェスティバルイン信州しおじり」を開催。2015年には木育推進の「ウッドスタート宣言」をして、翌年から新生児に木のおもちゃをプレゼントするなど塩尻市は木育に力を入れている。
そのきっかけをつくったのが、塩尻で創業して45年、木・竹・籐製品の生活用品やおもちゃを主に扱う酒井産業の酒井久徳社長だということはあまり知られていない。

そもそも、「木育」という言葉はまだ新しく、全国で使われるようになったのは、いまからちょうど10年前の2007年、林野庁が「木育推進体制整備総合委員会」を設置してからだ。
木育とは、「木材に対する親しみや木の文化への理解を深めるため、多様な関係者が連携・協力しながら、材料としての木材の良さやその利用の意義を学ぶ」と定義されている。

この委員会にオブザーバーとして参加していた酒井さんは、酒井産業の「自然のぬくもりを暮らしの中に」という社是と木育に通じるものを感じていた。そしてあるとき、木育の中心メンバーである「東京おもちゃ美術館」の館長、多田千尋さんに言われた言葉によって、木育に本腰を入れることになる。


「多田さんに『酒井さんは、木のおもちゃの生産と供給のシェアで日本一ですよね。でも、地元で何かやってますか?』と聞かれたんです。振り返ってみると、うちは卸業なもんで地元では特に何もやっていなかったんですよ。それから、地元になにか貢献したいという気持ちがわいてきて、会社に戻って当時の社長だった兄貴に塩尻で木育を始めたいんだけどどうかね?と話をしたら、お前がやるならいいよ、と簡単に許可が下りたので、それから本格的に取り組み始めました」。

木のおもちゃメーカーが木育を推進するというと、ビジネス絡みだと思われるかもしれないが、木育とは簡単に表せば木を題材にした教育であり、決して大きなビジネスになるようなものではない。それではなぜ、木育を広めようと思ったのか。そこには、「木育は子育て」という想いがあった。

木に触れて、木の文化を知ることで、山について考えることになる。いま、日本の多くの山は手も入れられずに荒廃しているけど、山は水の源であり、水は農業や漁業にも関係してくる。こうして木育によって地域や日本の環境にも思いを巡らせることになり、それが「子育て」につながっていくという意味だ。

だから、まだ塩尻では誰も木育という言葉を知らない時期から、ひとりで商工会議所や市役所、教育委員会などに出向いて「木育をやりませんか?」と訴えてきた。
最初の頃は食育と間違われたり、「“きいく”って何ですか?」と言われた。2度、3度と同じ話をしてもまるで理解されず、「そういう予算の余裕はありません」と冷たくあしらわれたこともあったそうだ。
それでも粘り強く木育について周知してまわった理由は、とてもシンプルだった。

「僕は木のこと好きだったから、これはみんなで一緒にやるべきだよねと思って」。

木育に対するこの情熱が伝わったのか、1年、2年、3年と経つうちに少しずつ理解が広まり、木育フェスティバルや塩尻市のウッドスタート宣言につながっていく。
木育で初めて地域貢献を始め、手ごたえを得た酒井さんはその後、塩尻市、商工会議所と手を組んで、もうひとつの新しい試みを始めた。2014年、塩尻市内の企業で初めて学生のインターンシップを受け入れたのだ。


「塩尻市の方から、長期のインターン生の受け入れを始めたいんだけど、受け入れてくれる企業がないから話だけでも聞いてほしいと言われてね。最初はうちもインターン生を引き受けるような人材はいないよと言ったんです。でも、社員と同じように扱ってもらって、会社で誰も手をつけていないようなことをインターン生にやってもらったらどうですかとアドバイスもらって、それならと」。

こうして酒井さんは、2014年8月から翌年2月までの半年間、信州大学の女子学生を受け入れた。インターン生にどう接するかというノウハウもないなかで、「自分なりに苦労して考えてどうアプローチしたかが、結果的にいい経験になる。だから手取り足取りのサポートはしない」という方針で臨んだが、時間の許す限り自身で直接指導した。

「当時、保育園、幼稚園ではまだ木育の理解が進んでいなかったので、彼女には、木育の事業に携わってもらいました。それから毎日5つ、自分でアイデアなり改善点なりを考えて提出してもらい、僕がそれに対して意見を言うということを続けました」。

インターン生とのやり取りは酒井さんにとっても答えの見えない試行錯誤だったが、最初の頃は「ただ来ているだけ」(酒井さん)だったインターン生のMさんが、11月あたりから明らかに変わり始めたという。酒井さんと塩尻市の保育園の園長会議に出席したのを機に、ひとりで市内の19ある園を訪ねて回り、先生がたのニーズを聞いて、少額ながらも注文を取ってくるようになったのだ。

 


「Mさんがね、先生から注文いただきましたっていうの。大した量じゃないよ。でも、予算がないなかで、先生たちが自分たちの毎日のお茶菓子代をためてお金をつくって注文してくれたと聞いて、それは本当に驚いた。それで、こういう経験は必ず自分の身になるから、諦めずに続けてみようって伝えたら、それから2月までの間に、彼女は結局、半分ぐらいの園から注文をもらってきたんですよ」。

インターン生の予想外の活躍は、酒井さんにとって嬉しい驚きだった。のちに、Mさんからは志望の分野で就職がきまったと連絡があったそうで、酒井さんは「いい出会いだった」と笑顔を見せる。視点を変えれば、これも「木育は子育て」といえるだろう。
塩尻市はいま、さまざまなインターンシップに力を入れているが、酒井産業とMさんのこの濃密な半年が、最初の一歩となったのだ。

振り返れば、木育も、インターン生の受け入れも、誰も手を付けていなかった。そのなかで酒井さんが粘り強く撒いた種は着実に芽吹き、枝葉を広げ始めている。

(文:川内イオ、写真:望月葉子)


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