塩尻発のチームでジャパンドリームを掴みたい

株式会社サイベックコーポレーション 代表取締役 平林巧造さんの耕し方 2017.3.23

「働き方」が話題になっている昨今、注目を集めている企業が塩尻にある。超精密部品の金型開発、プレス加工を手掛けるサイベックコーポレーション(以下サイベック)だ。

充実の福利厚生制度

同社は、独自技術の精度の高さで知られ、2013年に経済産業省の「グローバルニッチトップ企業100選」に選ばれるなど、海外市場でもその名を知られる。
その先進的な取り組みは、社員のサポート体制にも及ぶ。例えば、子育て支援制度ひとつ見ても、その充実ぶりがわかる。

 ・勤続年数5年以上の社員は、最長3年まで育児休業を取得可能。
 ・子供が小学3年生を修了するまで、1時間単位での勤務時間の短縮が可能。
 ・妊娠中の社員は最大2時間までの勤務時間の短縮が可能。
 ・子供が1人の場合は年間最大5日間、
  子供が2人の場合は最大10日間の看護休暇が取得可能。

妊娠中の時短勤務以外は、どれも「男女問わず」利用できるのが特徴だ。

ほかにも、独自の取り組みとして「有給シェアング」がある。これは、病気療養などで長期離脱を余儀なくされた社員に対して、他の社員が自分の有休を提供することができる制度。現在の社員数が85名(2017年1月時点)なので、もし社員1人が1日だけでも提供すれば85日間の有休がシェアされる。
社会人であれば、サイベックの福利厚生の充実ぶりを理解できるだろう。こうした制度を導入したのが、2009年に29歳で創業者の父から経営を受け継いだ平林巧造さんだ。


リーマンショックの真っ只中に社長就任

「もともと、会社を継ぐつもりはなかったんです」という平林さん。しかし大学時代、カナダ留学の費用を稼ぐために初めてサイベックでアルバイトをしたときに「意外に親父の仕事って面白いな」と感じたそうだ。それがきっかけとなり、11カ月のカナダ留学から戻った後、サイベックに入社した。
「アメリカンドリームを掴もうと思って留学に出たのですが、海外ではやはり自己主張の強さを求められます。そういう生活をしていくなかで、アルバイトしていたときに感じた、チームで目標に向かって頑張る日本のものづくりの雰囲気が、だんだん恋しくなってきたんです。高校まで、プロを目指して本気で野球をやってきたので、その影響もあるかもしれません。もう一度、世界で勝てるような技術をチームで生み出す仕事がしたいと思って、父の会社に入れてもらいました」。
さあ、モノづくりをするぞ! と意気軒高に入社して間もなく、予想外の出来事が起きた。父親が、社員の前で「俺は65歳になったら社長を降りる」と宣言したのだ。当時、父親は60歳だったので、5年後に勇退するということになる。そのとき24歳の平林さんはあまり実感がなかったそうだが、父親は宣言通りに65歳で代表から退き、29歳の平林さんが社長に指名された。2009年、リーマンショックの余波で日本全体が沈んでいるときに。



女性社員に社内規定づくりを依頼

リーマンショックの影響は大きく、サイベックも仕事が減っていた。当時、製造業者のなかにはコスト削減を目的に、海外に拠点を移す企業も少なくなかったが、社長になって1年目、「社長の仕事ってなんだろう」と考え続けていたという平林さんは、創業以来、父親が唱え続けてきた「社員は家族」という文化をなんとしても守ろうと腹をくくった。
そして2年目、父が掲げていた「Idea & Technology」という社是を「Creation for smile」に変更。社員、顧客、地域を含めて「笑顔のためのものづくり」をしようと決めた。
ちょうどその頃、同じくサイベックで働いていた平林さんの姉が、退職した。育児をしながら働いていたのだが、「子どもにとって大切な3歳までの時期を一緒に過ごしたい」という想いからの決断だったという。退職に際し、姉は平林さんに「もっと女性に優しい会社になりなさい」と伝えたそうだ。
父親が築き上げた「社員は家族」という文化、姉が残した「もっと女性に優しい会社を」という言葉。これを実現するために、2012年4月、全員女性メンバーの「なでしこ5S委員会」を立ち上げ、こう依頼した。
「この会社でなら一生涯働けるという規定をつくってもらいたい」。
この大胆な指令を機に、続々と拡充されていったのが冒頭に記したような福利厚生だ。有休シェアリングは、実際に心疾患を抱え、入退院を繰り返している社員をどうにかサポートしようということから生まれた。



就任から8年で女性社員が倍増

また、製造業といえばかつて「3K」(危険、きつい、汚い)の代表格と言われたが、それではいくら福利厚生が充実していても、社員は笑顔にならない。そこで、職場の改善にも着手。まず、床にごみや油が落ちていないように社員全員で定期的に清掃することを決め、工場内以外のオフィスには木材をふんだんに使用し、清潔感のある環境にした。社員が自由に利用できる体育館や、調理師がいる食堂も用意されている。
さらに2012年9月には、年間の売り上げを上回る28億円を投じて、地下11メートルに構内を24時間、365日23℃(プラスマイナス0.3℃以内に制御し、夏も冬も快適に作業できる最新の工場「夢工場」を新設。社員に対して、塩尻でモノづくりを続けるという姿勢を示した。
働き方の見直しは、自身にも及ぶ。なんと午前2時に起きて3時に出社し、遅くとも18時には退社しているのだ。この生活によって、早朝の時間に自分の時間を確保できるだけでなく、家族との時間も増えたという。

平林さんが社長に就いて、8年。手探りで始めた改革は、見事に実を結んでいる。2009年3月期の売上高は17億円だったが、昨年には23億円と右肩上がりで伸びている。好調の理由は、人材だ。
「弊社は大手の求人サービスを利用していません。それでも社員数は増えていますし、僕が社長になった当時8名だった女性社員はいま14人いて、この春にも2名入社します。資源のない日本がグローバルで戦うためには技術が一番重要だと思いますが、人の持つ知恵やアイデアがイノベーションを生むのです」。
平林さんは、社員に「個ではなくチームでジャパンドリームを掴もう」と呼びかける。その実現のために、今日も朝2時に起きる。

 

取材:2017年3月

文:川内イオ 写真:望月葉子

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