スナバ発のベンチャーで農業の課題に挑みたい

塩尻市地域おこし協力隊員/スナバ発ベンチャー「HYAKUSHO」創業メンバー 田中暁さんの耕し方 2020.5.22

「スナバ」に惹かれて移住

今年5月、塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」から、ユニークなベンチャー企業が誕生した。農業に従事する人たちを表す「百姓」からとった「HYAKUSHO」を社名に掲げ、「農家の課題をクリエイティブで解決すること」をコンセプトにする。中心メンバーは、農業財務コンサルタントの木下直紀さんと、塩尻市地域おこし協力隊員で、スナバの運営スタッフを務める田中暁さんだ。

木下さんは農業の専門家だが、田中さんはもともと農業とは縁とゆかりのない生活を送っていた。京都出身で38年間、京都に在住。社会人になってからは広告の仕事に就き、31歳の時に独立してからも、さまざまな広告やプロモーションに携わってきた。

京都の広告プロデューサーがなぜ塩尻で、農業に携わるベンチャーを立ち上げることになったのか? 塩尻に移住することになったきっかけから、振り返ってもらった。

「2年前、子どもが2歳になったぐらいの時に、これからどう子育てしていくかを夫婦で話し合ったんです。そこで、自然が多くて静かなところでのんびり育てたいよねっていうことになって。それでどこに住もうか考えていた時に、塩尻市が『スナバ』を設立することを知って、面白そうだと思ったんです」

スナバについて調べてみると、塩尻市が地域おこし協力隊としてスナバの運営スタッフを求めていた。塩尻については、長野県の辰野出身の妻が帰省する時に利用する駅程度のの知識しかなかったが、「ここなら、いろんな人と出会えそう」と感じ、地域おこし協力隊に応募したところ、採用された。

生産者と消費者をつなぐ「HYAKUSHO BAR」

スナバは、市内の起業家やフリーランサー、自ら何かを仕掛けたいという市民をつなげ、新たな事業、イノベーションやムーブメントを起こす試みの場として、2018年3月に竣工した。3階建ての建物の1階は会員制のコワーキングスペースで、備え付けの調理台で料理をしたり、パーティーをすることもできる。2階、3階は賃貸オフィスで、地域の複数の企業が入居している。

同年6月、スナバの運営メンバーとして着任した田中さんは、8月のグランドオープンに向け、プレオープン時から広告プロデューサーとしての経験を活かして、会員の相談に乗ったり、新しい事業を立ち上げるためのサポートをするようになった。

「塩尻についてほとんど何も知らないまま移住したので、このエリアにはどんな人がいるのかな? と思っていたんです。蓋を開けてみたらIT関係、教育関係とか業種も幅広いし、会員も20代から60代までいて、想像以上にバラエティ豊かでしたね」

間もなくスタートしたのが、「HYAKUSHO BAR」。毎月、地域の生産者をゲストに呼んで、その人が作った作物などを食べながら話をしてもらうトークイベントだ。その企画者が、前述の木下さんと田中さんだった。

「着任前の2月に、長野の友人から紹介されたのが木下でした。その時に、ちゃんと儲かる農業ができる農家さんが少ないという課題があって、マルシェをやりたいという相談を受けたんですが、それは君が絶対やらないといけないことなのか、もっとほかにできることがあるんじゃないかと言いました。その話のなかで、僕らでHYAKUSHOというプロジェクトを立ち上げて、農家の課題をクリエイティブで解決しようということになったんです」

このプロジェクトの第一弾が、「HYAKUSHO BAR」。一般の生産者は農作物を農協に卸すので、消費者との接点がない。そのため、生産者は消費者の評価を知らないし、消費者は生産者の思いや努力に気づけない。

生産者と消費者の出会いの場を設け、普段、表に出ることのない生産者にスポットライトを当てることで、生産者のファンを作ろうという試みだ。ふたりにとってこのイベントは、生産者とのつながりを拡げ、農業の実情や課題を聞く情報収集の機会でもあった。



「農家さんと同じ目線に立とう」

このイベントを通じて長野県内の生産者と関係を深めるなかで、安曇野でわさびを育てる同世代の生産者と知り合った。そこで、わさびの生産者も高齢化して引退する人が増え、担い手が不足しているという話を聞き、「リタイアした生産者の農地を集約化しよう」というプロジェクトを一緒に立ち上げた。

この時、ふたりは大きな決断をした。集約化の手伝いをするだけでなく、「農家さんと同じ目線に立とう」と、長野県の南箕輪村に農地を借りて、HYAKUSHOとしてわさびを生産することにしたのだ。田中さんにとっては、初めての農作業。右も左もわからないなかでまさに手探り状態だったが、生産者の課題を肌で感じる最高のきっかけになったという。

「畑をやる前は、農家さんの話を聞いてもリアルじゃなかったんですよね。でも自分たちでイチから農業を始めたら、それ、わかりますって共感できるようになりました」

つくづく実感したのは、「生産者は職人」ということ。販路を広げたいという希望があっても、スーパーに営業をかけたり、ブランディングを考えるのは得意じゃないし、極力避けたいという人がほとんどだった。そこで、その苦手な部分、営業やマーケティングをHYAKUSHOが請け負いましょうかと提案をすると、喜んでくれる生産者も多かった。

自ら生産者になることで、食に対する意識も変わった。

「普通の流通に乗せると、スーパーの棚に並ぶまでにだいたい3日くらいかかって、その分、鮮度が落ちます。地産地消すれば取れたての一番美味しいものを食べられるんだから、それを推奨したほうがいいですよね。それに農家さん一人一人、ものづくりの哲学が違うので、価格だけじゃなくて、背景を伝えることでこの人のこの考え方、この手間のかけ方が好きだから買おう、みたいな方向にもっていきたいと思いました」


企業とのコラボレーション

わさびを作りながら、「HYAKUSHO BAR」を開く。この活動に注目したのが、スナバに入居している企業のひとつ、中部電力。同社の新規事業の構想のなかに農業が含まれていたこともあって、「いろいろと一緒にやっていきましょう」と声がかかったのだ。この誘いを受けて、木下さんと田中さんは中部電力の新規事業開発にも携わるようになった。

さらに、HYAKUSHOプロジェクトと中部電力のコラボレーションに興味を持った東京の企業からも連絡が入った。その会社からは「君たちの取り組みを応援するから企画を出して」と言われて、企画を提案している段階だ。

生産者として新しいアイデアも浮かんだ。

「僕らはわさびで儲けようとは思っていなくて、畑をいかにエンタメ化できるかを考えています。今、畑のなかに茶室を作ろうと考えてるんですよ。近所の人が遊びにきて、そこでお茶を飲めるだけでも面白いと思ってて。そこで会話が生まれて、ほかの農家さんを紹介したり、されたりするのもいいなって。収穫もイベント化して、市外、県外から人を呼んで、関係交流人口が増やしたいんです」


スナバで種を蒔き、芽を育てる

地域おこし協力隊の任期は3年で、今年2020年6月から最後の1年を迎える。その成果としてHYAKUSHOを法人化した一方で、スナバのスタッフとしての仕事も継続している。

eスポーツの活動拠点を市内に開設したり、漆器職人が地域間連携できるようにオンラインのプラットフォームを作ったりと駆け回っている。どのプロジェクトにもだいたいスナバの会員がかかわっているそうで、「どれも、『一緒にやろうぜ!』みたいなところから始まっているんです」。

「任期を終えるまでに、HYAKUSHO を含めて収益化して雇用できるような事例をスナバ発で2、3個作っておきたいと思っています。そのために一斉に種を蒔いていて、出てきた芽をどんどん成長させるように休まず動くっていうのが僕の役割かなと思っています」

子どももひとり増えて多忙な日々を送るが、京都よりのんびりしていて、自然が豊かな塩尻での生活は充実しているようだ。HYAKUSHOの拠点をスナバに置き、地域おこし協力隊の退任後も塩尻で暮らそうと考えている。

京都で広告プロデューサーをしていた時の話を聞いて、「やりがいがありそうな仕事ですね」と言ったら、田中さんは「いやいや、大変なだけですよ」と首を横に振った。インタビューの終わりに、「塩尻の生活は京都時代とぜんぜん違うと思いますが、なんだか楽しそうですね」と尋ねると、田中さんはこう答えた。
「かもしれん。しんどいのが楽しい(笑)」

取材:2020年3月

text:川内イオ、photo:望月葉子

塩尻耕人たち